The CHAMPIONS 私を通りすぎた王者たち。BACK NUMBER
なぜ日本人は辰吉丈一郎に熱狂したのか?「撮影に恋人同伴で…」「引き分けでも負けを認める潔さ」“喧嘩自慢の不良少年”が愛された理由
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/12/29 17:02
1997年11月22日、大阪城ホールでシリモンコンを破り王座奪還を果たした辰吉丈一郎
アリと辰吉。2人のカリスマに共通するものは何か。それはファンのみならず、書き手をも魅了する強烈なエゴではないかと思う。エゴイストは利己的や自分勝手など、あまり良い意味で用いられないが、リングで戦うボクサーには他に頼るものがない。
大阪帝拳ジムでのスパーが“出世試合”に
辰吉丈一郎は岡山県倉敷市に生まれ、離婚した父親の男手ひとつで育てられた。貧しい生活の中で、世間の冷たい目に反発を覚えながら、不良少年になった。やんちゃでも、どこか憎めない。そんな人柄は今も変わっていない気がする。硬派の不良少年で、喧嘩に滅法強いのは自他共に認めるところ。中学の担任がボクシングを勧め、ジム探しも手伝った。自身も早くからボクシングを「天職」と信じるようになっていた。
辰吉の評判を初めて聞いたのは、大阪帝拳ジムのヘッド・コーチ格だった西原健司から「いい新人が入りました」と聞かされた時だった。87年3月29日、大阪で行われた空位のWBA世界バンタム級王座決定戦の数日前。大阪帝拳ジムであった公開練習で、六車と対戦するパナマのアサエル・モランのスパーリング・パートナーを務めたのが、ジムに入門したての辰吉だった。
主役であるモランを相手に、無名の少年は引き立て役を務める気もなく、2Rの間一方的に攻めまくった。主役の座を奪ったスパーが、辰吉の“出世試合”となった。
半年後には、アマチュアの全日本社会人選手権大会で簡単に優勝。17歳の新人は当てればポイントになるアマチュア・スタイルではなく、プロ式の倒すボクシングで勝ちまくった。後に十八番となるボディー打ちで相手を沈め、「すごい選手が出てきた」と五輪出場経験もある選手が目を丸くして報告してくれたのを今でも思い出す。
カメラ撮影の現場に恋人同伴で現れた
プロ転向は19歳。デビュー直後に、今は亡き佐瀬稔さんに大阪へ取材に行ってもらった。この時、なんと辰吉青年は現場に恋人同伴で現れた。それが4つ年上のるみ現夫人で、一緒にカメラマンの撮影にも応じた。当時は「ボクシングに女は禁物」といわれていた時代で、ましてチャンピオンでもない新人の小さな「革命」に感心させられたものだ。ノンフィクションの大家もこれで辰吉にメロメロになり、かつてアリを追ったように、その後の彼を取材し続けた。
初めて辰吉の試合を観たのはプロ2戦目。90年2月11日、東京ドームのタイソン―ダグラス戦の前座でタイのチューチャードにいきなりダウンを喫し、立ち上がるや憤然と反撃に出て、軽く倒し返した。