The CHAMPIONS 私を通りすぎた王者たち。BACK NUMBER
なぜ日本人は辰吉丈一郎に熱狂したのか?「撮影に恋人同伴で…」「引き分けでも負けを認める潔さ」“喧嘩自慢の不良少年”が愛された理由
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/12/29 17:02
1997年11月22日、大阪城ホールでシリモンコンを破り王座奪還を果たした辰吉丈一郎
「遊ばれてもうた。オレの負けや」
この時の辰吉で一番印象的だったのは、発達した上半身に比べて極端に足が細い、理想的な「ボクサー体型」だったこと。特に足の細さは同じバンタムの往年の名選手ジョー・メデルを思い出させた。
同年9月11日には、4戦目で岡部繁の持つ日本バンタム級王座に挑戦。この時は前日からの徹夜組も含め後楽園ホールが超満員になる中、岡部を4回KOに沈めて初のチャンピオンベルトを獲得した。
そんな天才にも、思うようにならない試合がある。6戦目のアブラハム・トーレス戦だった。当時世界7位にランクされていたベネズエラ人は頂点に立つ類の選手ではないものの、世界レベルの技巧派。スパーで世界王者級を圧倒していた辰吉も、実戦での強豪はこれが初。結果は引き分けだったが、試合後の辰吉は「遊ばれてもうた。オレの負けや」と脱帽した。この潔さも、ファンを惹きつける要素だったのだろう。
トーレス戦の挫折にもかかわらず、ジムは1戦をはさんだ上で、8戦目で世界戦を組んだ。米オハイオからやってきたチャンピオン、リチャードソンは百戦練磨のテクニシャン。前半は予想通り苦戦させられたが、トーレス戦の経験もあり徐々に挽回。10回が終了すると、王者が棄権し、辰吉の手にWBCベルトがもたらされた。
誰もが思った「辰吉はもう終わりだ」
辰吉のボクシングは、どこが普通と違っていたのか。3代目トレーナーの島田信行によると「ひらめきと計算」だという。「全身にばねがあり、ただ連打するのではなく、左ボディーを打つために上下にパンチを散らし、最後に目的のパンチを出す。かと思うと、ここぞという時にひらめいた攻撃で一気に倒す。精度の高いボクシングをした」。その反面、ディフェンスの甘さも指摘されたが、負けん気の強さゆえだろう。
波瀾万丈は、ベルト獲得後も続いた。網膜剥離が判明したものの、強い意志でリングに立つ。天敵ビクトル・ラバナレスの無手勝流に敗れて王座から転落し、1年後の再戦で奪還。眼疾の間に正規王座に就いた薬師寺保栄との「世紀の対決」は近来にない盛り上がりを見せたが、激闘の末に判定負け(94年12月)。辰吉の盛りは過ぎたかと思われた。階級をJ・フェザー級に上げてWBC同級王者ダニエル・サラゴサに挑むも、熟練の技巧にしてやられ11回TKO負け(96年3月)。翌年の再戦でも完敗し、もう終わりだと誰もが思ったろう。