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「握力は計測不能でした」怪力無双・魁皇が語る“相撲嫌い”だった少年時代…『サンクチュアリ』よりも過酷な日々に「えらいところに来てしまった」
text by
飯塚さきSaki Iizuka
photograph byShigeki Yamamoto
posted2023/07/08 11:20
少年時代は“相撲嫌い”だったという元大関・魁皇の浅香山親方。ロングインタビューで「記録にも記憶にも残る名大関」の歩みに迫った
――「花の六三組」の中でも、若貴は“別格”の存在だったんですね。
教習所に通う半年間で、向こうはどんどん番付を上げて、差は開いていくばかり。自分の弱さを痛感しました。追いつこうと思ったらあれ以上の稽古をしないといけないのに、当時の自分の体力ではとてもじゃないけど無理だった。ただ、いつか対戦できるところまで行ってやろうっていう、そういう気持ちだけは常にありました。貴乃花とは年も一緒だったのでね。
部屋では世話人に基礎を徹底的に教わりました。延々とすり足をやって、四股は1日500回、てっぽうは500~1000回。相撲の基礎は地味で、筋トレのようにすぐに効果が出るものではないので、本当にきつかったです。どれだけやっても「まだまだ」という感じでした。
「俺はいったい何を…」脱走失敗で固まった覚悟
――入門した年には、部屋から逃げ出してしまったこともあると伺いました。それだけつらい思いをしていたのでしょうか。
よく知っていますね(笑)。教習所の卒業式が終わった後、ほかの部屋の同期の子が「一緒に逃げないか」と言ってきたんです。自分自身がすごくつらかったから、というよりも、誘われたのを断れなくて、ついていってしまった。錦糸町駅で待ち合わせしてね。休み中なので大事にはならなかったんですけど、結局、すぐ部屋に連れ戻されました。
でも、一度逃げ出したことで、決意が固まった部分もあるんです。錦糸町から電車に乗っているときにね、故郷と家族のことが思い浮かんで……。あんなに盛大に送り出してもらったのに、俺はいったい何をやっているんだろうって。こんなに恥ずかしいことをしたら、二度と福岡に帰れないし、二度と親にも会えない。だから、連れ戻されてどこかホッとした部分がありました。いろいろと考えさせられて、その後は気持ちを切り替えて相撲に取り組むことができたので、自分にとってはいい経験だったのかなと思います。