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元大関・魁皇50歳はなぜ“千代の富士の記録を超えた日”にインタビューを断ったのか? 盟友・千代大海との友情秘話「土俵に取り残されたような…」

posted2023/07/08 11:21

 
元大関・魁皇50歳はなぜ“千代の富士の記録を超えた日”にインタビューを断ったのか? 盟友・千代大海との友情秘話「土俵に取り残されたような…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2011年7月、魁皇は千代の富士に並ぶ歴代最多(当時)の通算1045勝を達成。尊敬する元千代の富士の九重親方と握手を交わした

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飯塚さき

飯塚さきSaki Iizuka

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JIJI PRESS

元大関・魁皇の浅香山親方(50歳)のロングインタビュー第2回。長きにわたって大関として君臨し、多くの横綱と対峙してきた魁皇が選ぶ“最強の力士”はいったい誰なのか。武双山や千代大海といったライバルとの友情秘話に加えて、「酒は2升からだ!」と豪語していたという現役時代の“酒豪伝説”についても語ってくれた。(全3回の2回目/#1#3へ)

「酒は2升からだ!」若き日の酒豪伝説

――親方は入門4年後の1992年初場所で新十両に昇進して本名の古賀から「魁皇」に改名。当時19歳でした。しかし、続く3月の春場所中に左足親指を脱臼骨折して休場。手術もされました。当時はどんな心境でしたか。

 初めての大ケガだったので、ショックでしたね。そのときはもうダメかなと思ったし、病院から国技館が見えるのも憂鬱でした。みんなが元気に相撲を取っているときに、自分は何をしているんだろう、情けないなって。1カ月半から2カ月くらいで歩けるところまで戻りましたが、その間はずっとふさぎ込んでいて……。その頃から22歳くらいまでは、ちょっと“荒れた時期”でもありました。20歳くらいのときなんか、もう毎日のように酒を飲んで酔っ払って、ひどかったです。「あの頃、もうちょっと摂生しておけばよかった」と思うくらいに。

――ちなみに、お酒の量はどれくらい……?

 一晩で日本酒を4升(約7.2リットル)くらいは飲んだかなぁ。若い頃はお酒のことも、飲み方もよく知らなかったからね。日本酒とかブランデーとか、甘くてついつい飲んじゃうんですよ。「酒は2升からだ!」なんて、若造がほざいていました(笑)。それが、自分の弱さでもあったんです。

――すさまじい飲みっぷりですね……。しかし、まさしく豪快で力持ちな“お相撲さんのど真ん中”を体現されていたわけですね。

 相撲取りはそうでなくちゃいけない、と思っていました。特に一般の方々に対しては、やっぱり「気は優しくて力持ち」でいたかったので、子どもからお年寄りまで寄ってきてもらえるような人間でいたい、というのは常にありましたね。番付がどれだけ上がっても、大関になっても、それだけは変わらなかったです。

――現役時代の魁皇関は、まさにそういったイメージでした。

 外に出ると威張り散らすお相撲さんもいましたけど、自分はそういうのが大嫌いでした。だから、彼らの前で自分はあえて周りに優しく接するんです。そうすると、威張っていたほうはカッコ悪いじゃないですか(笑)。自分は番付が上だったので、「何をそんなに威張っているんだ。みっともないからやめろ」とたしなめることも多かったですね。

【次ページ】 魁皇にとっての「最強の力士」とは?

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