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元大関・魁皇50歳はなぜ“千代の富士の記録を超えた日”にインタビューを断ったのか? 盟友・千代大海との友情秘話「土俵に取り残されたような…」
posted2023/07/08 11:21
text by
飯塚さきSaki Iizuka
photograph by
JIJI PRESS
「酒は2升からだ!」若き日の酒豪伝説
――親方は入門4年後の1992年初場所で新十両に昇進して本名の古賀から「魁皇」に改名。当時19歳でした。しかし、続く3月の春場所中に左足親指を脱臼骨折して休場。手術もされました。当時はどんな心境でしたか。
初めての大ケガだったので、ショックでしたね。そのときはもうダメかなと思ったし、病院から国技館が見えるのも憂鬱でした。みんなが元気に相撲を取っているときに、自分は何をしているんだろう、情けないなって。1カ月半から2カ月くらいで歩けるところまで戻りましたが、その間はずっとふさぎ込んでいて……。その頃から22歳くらいまでは、ちょっと“荒れた時期”でもありました。20歳くらいのときなんか、もう毎日のように酒を飲んで酔っ払って、ひどかったです。「あの頃、もうちょっと摂生しておけばよかった」と思うくらいに。
――ちなみに、お酒の量はどれくらい……?
一晩で日本酒を4升(約7.2リットル)くらいは飲んだかなぁ。若い頃はお酒のことも、飲み方もよく知らなかったからね。日本酒とかブランデーとか、甘くてついつい飲んじゃうんですよ。「酒は2升からだ!」なんて、若造がほざいていました(笑)。それが、自分の弱さでもあったんです。
――すさまじい飲みっぷりですね……。しかし、まさしく豪快で力持ちな“お相撲さんのど真ん中”を体現されていたわけですね。
相撲取りはそうでなくちゃいけない、と思っていました。特に一般の方々に対しては、やっぱり「気は優しくて力持ち」でいたかったので、子どもからお年寄りまで寄ってきてもらえるような人間でいたい、というのは常にありましたね。番付がどれだけ上がっても、大関になっても、それだけは変わらなかったです。
――現役時代の魁皇関は、まさにそういったイメージでした。
外に出ると威張り散らすお相撲さんもいましたけど、自分はそういうのが大嫌いでした。だから、彼らの前で自分はあえて周りに優しく接するんです。そうすると、威張っていたほうはカッコ悪いじゃないですか(笑)。自分は番付が上だったので、「何をそんなに威張っているんだ。みっともないからやめろ」とたしなめることも多かったですね。