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「握力は計測不能でした」怪力無双・魁皇が語る“相撲嫌い”だった少年時代…『サンクチュアリ』よりも過酷な日々に「えらいところに来てしまった」
text by
飯塚さきSaki Iizuka
photograph byShigeki Yamamoto
posted2023/07/08 11:20
少年時代は“相撲嫌い”だったという元大関・魁皇の浅香山親方。ロングインタビューで「記録にも記憶にも残る名大関」の歩みに迫った
『サンクチュアリ』よりも過酷な日々
――あれよあれよという間に入門が決まってしまったわけですね。入門後の日々はいかがでしたか。
もう生活が一気に変わりましたね。九州では“お客さん”扱いでしたが、入った途端に朝は5時半起き。四股だってまだ見よう見まねなのに、「相撲を取ってみろ」と言われて少し上の人とやったら、いきなり頭でガツンと当たられて、脳震とうを起こしてひっくり返りました。しばらくボーっとしていたのを覚えています。それが初日の稽古ですよ(笑)。最初のうちはいつも全身筋肉痛で、本当に訳がわからないくらいきつかったですね。
食事は、いつも自分が最後。忘れもしませんが、初日の夜は魚の鍋でした。でも、自分のところに来るときには中身がほとんど入っていなかったんです。あとは漬物とご飯だけ。ほかにも、掃除や洗濯、ちゃんこづくりと一気にやることが増えて、「えらいところに来てしまったな……」という思いしかありませんでした。いま『サンクチュアリ』が話題ですけど、あんなもんじゃないよ、と(笑)。
――中学を出たばかりの15歳の少年には、あまりに過酷な環境ですよね……。1988年(昭和63年)の3月にデビューした力士には、若乃花関、貴乃花関、曙関といったそうそうたるメンバーがそろっていて、「花の六三組」とも言われました。親方にとってはどんな初土俵でしたか。
そうそう、すごく騒がれている人たちがいてね。自分は後ろのほうで、他人事のように「なんかすごいことになっているな」と思って見ていましたよ(笑)。有名人の横で、自分は場違いなんじゃないかなとも思いました。実際、彼らはまるでレベルが違いました。東京へ戻ってきてからは相撲教習所に通うんですが、当時から若貴の二人は自分たちの何倍もの稽古をしていた。自分たちは基礎運動だけでヒーヒー言っているのに、指導員の力士とも普通に相撲を取っていましたから。あんなものを見せつけられたらたまったもんじゃないよね(笑)。異様な光景でした。何年か経ってから聞いたら、兄弟同士でかなりの稽古をしていたそうです。いつすれ違っても、彼らの体は絆創膏と傷だらけ。その姿を見るたびに、「ああ、自分はまだまだだな」と思いました。