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“お祈り名MF”ビスマルク53歳、少しぽっちゃりしたけど…「イハラもカズも覚えてるよ」驚きエピソードを告白〈現地インタビュー〉
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2023/07/02 11:00
ヴェルディ川崎で輝いた頃のビスマルク。今、何してる?
「早くセレソンの試合に出たくて、うずうずしていた。ゴール前でうまくフリーになれて、会心の初得点だった」
――セレソンは、FWのロマーリオ、べべート、カレッカ、MFドゥンガ、GKタファレルらが出場、日本代表は監督が横山謙三で、FWの長谷川健太、水沼貴史、CB井原正巳らがプレーしました。この時の日本代表の印象は?
「基本技術はしっかりしていて、スピードもあった。ただ、当時はアマチュアで、最初から『ブラジルに勝てるはずがない』と思っていたらしく、『大敗しなければ……』という感じ。プレーが素直で、マリシア(ずる賢さ)がなかった」
――印象に残った選手は?
「イハラ(井原)は、ハードに当たってくるけどクリーンな選手だった。他の選手は、あまり印象に残っていない」
もちろんブラジル時代のカズも覚えているよ
――この年9月、ブラジルリーグでバスコがコリチーバと対戦。当時、コリチーバにはカズがいました(注:2人ともフル出場し、試合は1-1の引き分け)。この試合のことを覚えていますか?
「ああ、覚えているよ。カズという日本人の左ウイングがいることは知っていた。ドリブルがうまくて、『ガリンシャ・ジャポネス』(注:「日本のガリンシャ」。ガリンシャは、ブラジルの伝説的なウインガー)と呼ばれて注目されていたからね。とても危険な選手で、バスコの守備陣は彼を抑えるのにかなり苦労していた」
――この年、バスコはブラジルリーグを制覇。有力スポーツ誌が、あなたをベスト11に選びました。
「シーズンを通じて良いプレーができた。U-20W杯のMVP選出に始まり、セレソン初招集と初得点、チームのリーグ優勝にベストイレブンと、最高の年だった」
ブラジル代表としてW杯を戦えたのは栄誉だ
――そして、20歳にして1990年W杯イタリア大会の出場登録メンバーにも選ばれました。セレソンは、グループステージを首位で勝ち上がり、ラウンド16でアルゼンチンと対戦。試合内容では圧倒しながら、終盤、マラドーナの縦パスをカニーヒアに決められて敗退します。
「ブラジル代表に選ばれてW杯を戦うのは、ブラジル人として最高の栄誉だ。本当に嬉しかったし、家族も友人も大騒ぎだった。
残念ながら、W杯ではピッチに立つことはできなかった。でも、フットボールの世界で最高の舞台に臨んだことは、とても貴重な経験となった。『4年後の大会にも招集を受け、今度は主力としてプレーして優勝したい』と強く思った」
――ところが、翌1991年前半、バスコで出場機会が激減しました。その理由は?