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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「JALの人が飛行機ポーズを喜んで…(笑)」「浦和ではパジェロを」“Jリーグバブル裏話”を懐かしのFWトニーニョ58歳が告白
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/06/18 17:01
58歳となったトニーニョ。エスパルス時代はもちろん、読売クラブや浦和レッズ時代の秘話を話してくれた
「チーム関係者から『浦和のメインスポンサーは三菱自動車。飛行機会社じゃないよ』と言われた。移籍した時、三菱自動車は僕に大型のパジェロを貸与してくれた。その恩義があったので、運転ポーズに切り替えた(笑)」
――でも、走りながら飛行機ポーズをするのは簡単ですが、運転ポーズは少し難しかったのでは?
「いや、慣れたら大丈夫だった(笑)」
――このポーズをして、また何か得をしたことは?
「1995年末にレッズを退団した際、三菱自動車の人から『貸与したパジェロをブラジルへ持ち帰ってもいいですよ』と言われた。でも、調べてみたらブラジルへ船で送ると大変な費用がかかることがわかり、断念。パジェロは返したよ」
引退後、今は何をしているのか
――浦和では、しばらくはCFでしたが、やがてCBとして起用された。
「(ホルガー)オジェック監督から、『守備を強化したいので、CBをやってくれ』と言われた。全くやったことがなかったし、点を取る方が楽しい。嫌だったけれど、仕方なくCBをこなした」
――1996年は、清水へ復帰しました。その理由は?
「清水の監督がオズワルド・アルディレスに代わり、『戻ってきてくれ』と言われた。でも、右膝の状態が思わしくなく、万全の状態でプレーできなかった」
――それでも、この年5月の横浜マリノス戦で、ペナルティエリアの外からラボーナ・キック(足を交差させて蹴ること)による得点をあげています。時折、このキックをやる選手がいますが、大抵は短い距離のパスかシュート。ミドルシュートを決める選手はなかなかいません。なぜあんなことができたのですか?
「子供の頃からアクロバティックなプレーが好きで、遊びでよくやっていた。蹴り方? 特別なパワーはいらない。ボールを当てるべきスポットを覚えたら、長い距離のキックもできる」
――日本でプレーしたのは、この年が最後でした。
「ブラジルへ戻り、いくつかのクラブでプレーしたが、右膝がずっと痛かった。2000年、35歳で引退した」
――引退後は?
「当時、弟(ソニー・アンデルソン)が欧州でプレーしており、彼が在籍したスペインやフランスで指導者の勉強をさせてもらった。
ブラジルの監督ライセンスを取得し、いくつかのクラブの監督を務めたが、近年は育成年代の選手を発掘してクラブへ推薦する仕事をしている」
ハセガワは頭がいいからマネジメントできるんだろうね
――Jリーグ時代に最も苦しめられたDFは?