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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「不法侵入者が住み着いていた」ペレの生家を観光地化…“スゴ腕ブラジル人公務員”のカオス経験談「悪夢から16年かかって…」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byFernand Ortis
posted2023/06/05 11:02
2012年の「カーザ・ペレ」オープンに出席したペレとフェルナド・オルチス
「信じられなかった。茫然自失となった」
――ペレの死後も、彼に関する活動を続けているのでしょうか?
「市長と市議会に働きかけて、今年3月、市内の大通りにペレの名前を付けた。4月には、市営スタジアムの名称を『キング・ペレ・スタジアム』に変えた。今後も、この町のペレのモニュメントの保全に気を配り、ペレが生まれ、愛したこの町のために働くつもりでいる」
他のプロジェクトも考えている。まだ秘密だけどね
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今から30年前にフェルナンド・オルチスが見た悪夢から、すべてが始まった。
彼は、ペレの父親の名を公園に付け、体育館にペレの名を付け、「カーザ・ペレ」の復元という大事業を成し遂げ、ドンジーニョ公園に「父と子」のモニュメントを造り、「ペレの生誕地ミュージアム」建設に参画し、「W杯3回優勝」の銅像が立つ広場を「ペレ広場」へ改称し、市内の大通りに「ペレ」の名を冠し、市営スタジアムの名を「キング・ペレ」とした。
さらに、「他のプロジェクトも考えている。まだ秘密だけどね」と笑う。
1人の男のアイディア、情熱、執念、そして類まれな行動力から、トレス・コラソンエスは「ペレ尽くしの町」となった。ペレ本人も、この町のことを終生、忘れなかった。それゆえ、「私には、心臓が3つある。だから、スタミナが無尽蔵なんだ」というジョークを繰り返したのである。
<#1からつづく>
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