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「不法侵入者が住み着いていた」ペレの生家を観光地化…“スゴ腕ブラジル人公務員”のカオス経験談「悪夢から16年かかって…」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byFernand Ortis

posted2023/06/05 11:02

「不法侵入者が住み着いていた」ペレの生家を観光地化…“スゴ腕ブラジル人公務員”のカオス経験談「悪夢から16年かかって…」<Number Web> photograph by Fernand Ortis

2012年の「カーザ・ペレ」オープンに出席したペレとフェルナド・オルチス

「台帳を調べたら、所有者はペレの家族だった。そこで、市が土地を買い取って、不法侵入者を追い出して家を復元できないかと考えた」

――当初、このプランを誰に打ち明けたのですか?

「地元の政治家や市役所の幹部に話した。しかし、『そんなことはとても無理だし、財源もない』と言って、誰も取り合ってくれなかった。多少、興味を示した政治家は、ペレの名前を利用して人気取りをしようと考える輩が多かった。

 市民を含む多くの人々の理解と協力が必要と考え、地元紙にペレの生家を復元することの重要性を訴える記事を何度も書き、ラジオにも度々出演して自分の思いを伝えた」

何が何でも、ペレが生まれた家を復元する

――その反響は?

「サッパリだった。『ペレは大金持ちなのだから、貧しい我々を援助してもらいたい』という声も聞いた。『あれほどブラジルとこの町のために頑張ってくれた偉大な男に対して、何てことを言うんだ」と腹が立ったし、情けなかった。それでも、諦めずに人々を説得して回った」

――大変な執念ですね。家の敷地を買い取り、不法侵入者を追い出し、さらに家を復元するには、相当な費用がかかるはずです。それに、すでに家が取り壊されていたら、復元は容易ではない。

「その通り。かなりの時間をかけて調べたのだが、この町に住んでいたペレの親族も近所の人々も、誰一人として家の写真を持っていなかった。市の記録にもなかった。当時の私は、孤立無援だった。それでも、『何が何でも、ペレが生まれた家を復元するんだ』と心に決めていた」

――それから、どのような試みをしたのでしょうか?

「この町に住んでいたペレの親族を通して、ペレの母セレステさんと叔父ジョルジさんに私の夢を伝えてもらった。2人はサントスに住んでいた。1998年以降、私は自費でサントスへ通い、彼らとの交流を始めた。そして、ペレの生家の構造や備品などについて説明してもらった」

1993年に見た悪夢から16年かかって…

――家を再現する費用の当ては?

「まず市に話を持っていったが、建設費用を捻出するのは困難とわかった。そこで、地元選出の国会議員を説得して、ブラジル政府の観光省に働きかけてもらった。長い年月がかかったが、2009年末、観光省が費用を負担してくれることになった」

――この朗報を受け取ったときに感じたことは?

【次ページ】 ペレの反応は当初、半信半疑だったが…

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