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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「不法侵入者が住み着いていた」ペレの生家を観光地化…“スゴ腕ブラジル人公務員”のカオス経験談「悪夢から16年かかって…」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byFernand Ortis
posted2023/06/05 11:02
2012年の「カーザ・ペレ」オープンに出席したペレとフェルナド・オルチス
「約束通り、ペレがオープニング・セレモニーに参加してくれることになった。市の幹部と私は、ペレの一行を空港まで出迎えた。彼の顔は、喜びに輝いていた。バンに乗って市内まで10km余りの道を走ったのだが、沿道には大変な数の人が集まって、ペレを歓迎した(注:町の人口8万人の半分に相当する4万人が集まったとされる)。
まずドンジーニョ公園へ向かい『父と子』のモニュメントの除幕式を行なった。そして、ペレが公園内に設置されたステージへ上がり、『私はこの町で生まれたことを大きな誇りとしている。だから、世界中、どこへ行ってもこの町のことを話すんだ』と語って大きな拍手を浴びた。さらに、町のことを歌った『私のレガシー』という自作の曲を歌った」
(注:「私はトレス・コラソンエスで生まれた。三つのハートが私に命を与えてくれる。母の愛、父の模範的な振る舞い、そして人々のやさしさ。これらを私は決して忘れない」という歌詞で始まるボサノバ調の曲である)
「それから、私たちは『カーザ・ペレ』へ向かった。その周辺も、群衆で一杯だった。ペレが家の門を入り、彼と私で家の扉の手前の壁に掛けられていたプレートの除幕式をした。
私は、ペレは3歳までしかいなかったから、家のことはほとんど覚えていないだろうと思っていた。しかし、そうではなかった。家の中を歩きながら、『ここも、ここも、みんな覚えている。本当に懐かしい』と言って涙ぐんでいた。庭へ出てジャボチカバの木を見ると、『この木のことも、よく覚えている。おじいさんの荷車の上に乗って、実を取って食べたものだ』と言って笑った」
彼と交流を持てたことは、私の生涯の誇りだ
――ペレがそれほど喜んでくれたのを見て、どう思いましたか?
「19年間の努力が実って、ペレの生家を復元するという夢を実現した。私にとって生涯最高の日だった」
――あなたは「ペレの生誕地ミュージアム」の建設にも関わったのでしょうか?
「建物は元々は市の文化センターで、一部にペレに関する展示があった。それを拡大して、2016年、1階の全部をペレに関する展示とした。現在、二階は市の歴史に関する展示がなされているが、2階にもペレに関する展示物を置く予定だ」
――ペレは、どんな人だったと思いますか?
「あれだけのことを成し遂げながら、実に謙虚で、恵まれない人のことを考える素晴らしい男だった。彼と交流を持てたことは、私の生涯の誇りだ」
愛する町とペレのために働く
――近年、ペレは健康を害して入退院を繰り返していました。このニュースをどう受け止めていましたか?
「彼の健康を心配してはいたが、母セレステさんは100歳にして健在だ。彼も、まだまだ長生きするものと信じていた」
――昨年の12月29日、ペレがサンパウロ市内の病院で亡くなりました。この悲報をどう受け止めましたか?