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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「不法侵入者が住み着いていた」ペレの生家を観光地化…“スゴ腕ブラジル人公務員”のカオス経験談「悪夢から16年かかって…」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byFernand Ortis
posted2023/06/05 11:02
2012年の「カーザ・ペレ」オープンに出席したペレとフェルナド・オルチス
「天にも昇るような気持ちだった。1993年に見た悪夢から16年かかって、ようやく夢を実現するメドが立った。嬉し涙が止まらなかった。その夜は、一睡もできなかった」
――ペレ本人にこのプロジェクトのことを知らせたのはいつですか?
「2010年、市の幹部と共にサンパウロのペレの事務所を訪れた。ペレ本人と会ったのは、この時が初めてだった。私がペレの家族と親しくすることをやっかむ人が少なくなかったので、それまでペレ本人との接触はあえて避けていたからね」
ペレの反応は当初、半信半疑だったが…
――ペレの反応は?
「彼は、このプロジェクトのことを母親から聞いて知っていた。彼に関するイベントやプロジェクトの企画を聞かされることは、少なくないらしい。ただし、そのほとんどが実現しないし、企画した側がペレから何らかのアドバンテージを得ようと目論むこともある。だから、『カーザ・ペレ』の復元も半信半疑で、実現するとは思っていなかったらしい。
『私と私の家族にとって、本当に素晴らしいプロジェクトだ』と言って、感激の面持ちで私を強く抱きしめた。そして、『完成したら、オープニング・セレモニーには必ず出席する』と言ってくれた」
――家の敷地の所有権と不法侵入者の問題は?
「まず、市がペレの家族から敷地を買い取った。そして、不法侵入者に別の家を用意して、立ち退いてもらった」
――家の建設作業は?
「建設会社を選定し、建築工事が始まった。私は、毎日、つきっきりで作業を見守った。また、家具や調度品を手配して運び入れた。これらの作業が終わるまでに、1年ほどかかった。しかし、1940年代の家が新築同様では不自然だ。そこで、様々な年代のドラマのセットを制作するのが得意なテレビ局に相談し、2012年初め、専門家を2カ月間、町へ派遣してもらった。
彼らは非常にプロフェッショナルで、家屋、家具、調度品のすべてがまるで1940年代のもののようにみえるような加工をしてくれた。予想を上回る見事な出来栄えだった。これと並行して、私は1997年にペレの父の名前を付けた市東南部のドンジーニョ公園に父ドンジーニョと少年ペレが並び立つモニュメント「父と子」の建立計画を手がけた。
ペレが嬉しそうな姿に感動
――こうして、長い年月をかけて「カーザ・ペレ」が完成し、2012年9月に開館したわけですね。