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「負けてられない、俺も」37歳下の岡崎慎司を“ライバル視“…教え子が明かす、滝川第二元監督・黒田和生74歳の着飾らない“指導者像” 

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中野吉之伴

中野吉之伴Kichinosuke Nakano

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photograph bySankei Shimbun

posted2023/06/04 11:05

「負けてられない、俺も」37歳下の岡崎慎司を“ライバル視“…教え子が明かす、滝川第二元監督・黒田和生74歳の着飾らない“指導者像”<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1984年から2007年まで滝川第二の監督を務めた黒田和生。名門の教え子、そして黒田本人の証言から見えてくる指導者像とは…

 松岡「黒田先生はマンネリにならないよういろんなことをしてくれました。ほかの人に自分のチームのトレーニングをされるのを快く思わない人もいると思われますけど、黒田先生はそれができる人でした。祖母井秀隆さんとか、ズデンコ・ベルデニックさん、ゲルト・エンゲルスさんとか海外の指導者もチームに招いてトレーニングを見てもらうというのを積極的に実践していたんです」    

 指導者は自分を客観視するのはなかなかに難しい。自分の指導を外から指摘される機会はまれだし、特に先生→生徒、監督→選手のように力関係がはっきりしている場合は誰もやっていることに疑問を抱かないし、抱かせないようにしがちだ。今でこそ、外部からのコンサルを受けたり、アスレティックトレーナーやメンタルコーチ、栄養士といった様々な専門家をコーチングスタッフに加える学校やクラブも増えてきているかもしれないが、松岡が滝川第二に在学していた当時はほかにない取り組みだった。

サイクルがもうプロそのもの

 選手はたくさんの刺激を受けたことだろう。元日本代表FW岡崎慎司が在学中にコーチとして招かれたのが荒川友康だった。千葉県出身の荒川は大学卒業後、単身アルゼンチンに渡り、指導者として経験を重ね、同国のS級ライセンスを持っている。02年日韓ワールドカップでは、名将マルセロ・ビエルサ氏が率いる同国代表の通訳などを務めた人物だ。そんな荒川が滝二に導入したのが、当時のアルゼンチン代表がやっていた3-3-1-3という最新フォーメーションだった。

 岡崎「02年ワールドカップ直後に僕らのコーチに就いてくれたんです。まんま僕らはビエルサのサッカーをやってましたね。アルゼンチンのサッカーをビデオで観て、最新ほやほやのサッカーを提供してくれたので、それだけで僕らももうプロになったような気分で興奮してたのを思い出します。

 あと当時土・日に試合があったんですけど、月曜はオフだったんです。で、オフ明け火曜日にリカバリーでランニングや有酸素系のトレーニング、筋トレをして、水曜にインテンシティ高めの激しいトレーニング。このサイクルがもうプロそのもので、僕らはそうした環境をすごい楽しんでいました」

ライバル帝京の名将も呼び寄せた

 そうした荒川による新しい取り組みを黒田は好奇心いっぱいに受け止め、信頼して任せた。一方で「結果だけにとらわれずに、学校生活も大切にして、サッカーに真摯に取り組む」という自分のビジョンや考え方もしっかりと共有していく。そんな風通しのいい環境で、選手はみんなグッと成長したという。ちなみにいま荒川は岡崎が理事を務めるFC BASARA HYOGO(関西リーグ1部)のトップチームで監督を務めている。

【次ページ】 ライバル意識はないけど、どこも目標ではあった

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