Jをめぐる冒険BACK NUMBER
なぜ大学進学を辞めてドイツに渡ったのか…内野貴史の背中を押した“オシムの教え子”「申し訳ないと思っていたら…」〈パリ世代インタビュー〉
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2023/05/24 17:00
インタビューに応じてくれたデュッセルドルフの内野貴史
現役時代、坂本はオシムから「野心を持て」「リスクを冒せ」「チャレンジしろ」と言われ続けてきた。移籍を迷っていたときに、オシムから「勇気がなければ、幸運は訪れない」「悩んだら、自分にとって苦しい道を選べ」というアドバイスを受けた坂本だからこそ、内野にも挑戦の人生を歩んでほしかったのかもしれない。
土のグラウンドにも「文句を言っていても…」
練習参加を経て19年初春、ドイツ5部に所属するデューレンの下部組織への加入が決まったが、そこは想像を絶する環境だった。
チーム練習に全員が揃うことはほとんどない。練習場として使用する広場の芝生からは土が顔を出しており、試合が土のグラウンドで行われることもあった。
「うわー、きついなって。でも、ここで圧倒的な存在感、誰が見ても明らかに違うところを見せないと上には行けない。文句を言っていても、向こうの人たちからすれば、知らない日本人が来て、文句ばっか言ってるな、で終わっちゃう。想像どおり1対1は激しかったので、このために俺はここに来たんだ、って言い聞かせてやっていましたね」
翌19-20シーズン、内野はアーヘンの下部組織に移籍するチャンスを掴む。アーヘンU-19はドルトムントやシャルケ、ケルンなどのU-19と同じリーグに所属しており、ここでクナウフをはじめとする同世代のドイツ代表選手たちと対戦することになる。
さらに、ドイツ4部に所属するアーヘンのトップチームに昇格した内野に待望のときが訪れる。
20-21シーズンのデュッセルドルフII戦。本来のサイドバックではなくセンターバックとして起用され、決して納得のいくプレーができたわけではないが、翌日、デュッセルドルフからオファーが届くのである。内野はすぐに電車に飛び乗った。
「4部になるとスカウトが見に来るので、チャンスはあると思っていました。でも、フォルトゥナからのオファーは突然だったので、びっくりしましたね。何が嬉しかったって、移籍金を払ってまで『来てくれないか』と言ってくれたこと。4部で移籍金が発生するなんて、なかなかないんですよね。『ドイツ人のメンタリティを持っている』とも言われました」
トップデビュー翌日、田中碧とランチをしていると
トップデビューの瞬間は、思いがけずに訪れた。
まだトップ契約を結んでおらず、デュッセルドルフIIに所属していた22年3月12日のドイツ2部・パーダーボルン戦。トップチームに新型コロナウイルスのクラスターが起き、14選手が陽性となったため、セカンドチームから選手を補充することになった。
内野にも声がかかったばかりか、スタメンでトップデビューを果たすのだ。
思いがけない幸運はそれだけで終わらない。