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「田中碧くんはいつも親身に」内野貴史22歳がドイツで学ぶ海外組の心得…毎晩のように電話する鈴木唯人から聞いた「川島永嗣さんは…」
posted2023/05/24 17:01
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Boris Streubel/Getty Images
オリンピックにおける男子サッカーは、3人のオーバーエイジを除いて23歳以下という年齢制限がある。
2001年3月生まれの内野貴史は、パリ五輪が開催される24年に23歳となるから出場資格を有しているが、年代別代表とは縁がなかったから、オリンピック出場をさほど意識してきたわけではない。
それよりもドイツでの激しい生存競争に打ち勝ち、プロ契約を掴むことのほうがはるかに重要だった。
碧くんの東京五輪の活躍に、自分も
だが、フォルトゥナ・デュッセルドルフIIに加入した21年夏、内野に五輪出場を強く意識させることになる人物と出会う。
ほぼ同時期にデュッセルドルフのトップチームに加入した田中碧である。
「身近な存在となった碧くんが東京五輪で活躍した。僕も(準決勝の)スペイン戦はここ(クラブ事務所)で見ていて、オリンピックのサッカーって凄いんだな、自分も出たいなって。次のオリンピックが自分の代ということは知っていたんで、そこで初めて、チャンスがあるんだったら目指さない理由はないなって思ったんです」
その約7カ月後の22年3月、サプライズではあったものの念願どおり、パリ五輪を目指す大岩ジャパンの立ち上げメンバーに選出された内野にとって、自信を膨らませるきっかけとなったのが、6月の代表活動だった。
ウズベキスタンで開催されたU23アジアカップに参戦した内野は、右サイドバックとして先発したUAEとの初戦でいきなり2ゴールに絡む活躍を見せると、右サイドハーフや左サイドバックまでこなし、チームの3位という成績に大きく貢献するのである。
A代表の海外組と一緒に自主トレをして…
その活躍の背景には、大会前に行った自主トレの効果があった。
「ヨーロッパのシーズンが終わったばかりだったので、(同じく代表活動を控えていた)A代表の海外組の人たちと幕張で自主トレをしたんです。そこで、俺、A代表に呼ばれたのかなって錯覚を起こすような感じがあって(笑)」
一緒にトレーニングをしたメンバーは、吉田麻也、原口元気、伊東純也、古橋亨梧、守田英正、板倉滉、前田大然、堂安律、伊藤洋輝……といった顔ぶれである。夢見心地になるのも無理はない。
だが、ただ高揚感を覚えただけではなかった。