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「お父さんが倒れた」石井琢朗妻はパリから札幌へと向かった…テニスで海外転戦の次女・さやかも感謝する“母の献身” 「あんなタフな母ちゃんはいない」
text by
赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byYuki Suenaga
posted2023/04/17 11:01
インタビューに応じた石井琢朗と次女でプロテニスプレーヤーのさやか。さやかが海外遠征、父・琢朗は各地に遠征と離れ離れの家族にあって母のサポートが大きかったという
実際に移動した大会の場所は、東京→兵庫→能登→東京→静岡・牧之原→東京→大阪→東京。感に堪えないように、夫は言う。
琢朗「あんなタフな母ちゃんはいない」
父・琢朗が脳梗塞で倒れた時は…
その母が外国と日本の間でもっと長い距離を移動しなければならなかったのは、父が左小脳梗塞で倒れた昨年6月のことだった。
さやか「私とお母さんがパリにいるとき、お父さんが倒れたって電話が入ったんです」
琢朗「こっちはチームが札幌に着いたところで、家内にLINEした数分後でしたね。僕が『いま札幌だよ』、家内から『明日帰ります』、みたいなやり取りをしたあとだった」
さやか「私は、次の大会があるチュニジアに行く予定でした。お母さんはパリで観光してから東京に帰るつもりだったんですが」
琢朗「家内とLINEをした数分後かな、急に目眩を起こして、嘔吐もしちゃって」
そう語る父は札幌市内の病院へ搬送され、DeNAのマネージャーが母の携帯電話に連絡を入れた。突然の知らせに驚いた母は、それからすぐさまパリから東京へ飛び、そこから札幌へ向かっている。
さやか「ただ、お父さんが倒れたこと、お母さんは私には教えてくれませんでした。すぐ次の大会が控えていたから、私が動揺しないように気を遣って。何があったかを知ったのは2日ぐらいあと。ママはパパが死ぬんじゃないかと、本気で心配してました」
「テニスが嫌になった」コロナ禍の時期
高校進学を前にした20年、さやかは1度、「テニスが嫌になったことがある」という。
さやか「コロナ禍で、いろんなテニスの大会ができなくなったころでした。遠征して大会に出たいのにずっと中止が続いていて、練習ばかり。その間、お母さんにいろんなことを言われるのがすごく嫌になって、『もう嫌だ、テニスが嫌だ』って、パパにも言ったよね」
琢朗「そうだったな。あのころは娘が可哀相でした。僕自身、プロ野球の開幕が3月から6月に延びて、試合がない。その間、ずっと娘の送り迎えをして、練習やトレーニングも一緒にやっていましたから。その揺れてる気持ちが、いつも伝わってくるわけです」
支えとなった母からの言葉
さやか「悩みました。テニスを諦めて、ちゃんと高校に進学したほうがいいんじゃないかって、本当に迷っていました」