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「ヤクルト移籍は“さやか”のためだった」石井琢朗が明かす、テニスのプロとなった次女の存在「久保竜彦さんの娘さんにボコボコにされて…」

posted2023/04/17 11:00

 
「ヤクルト移籍は“さやか”のためだった」石井琢朗が明かす、テニスのプロとなった次女の存在「久保竜彦さんの娘さんにボコボコにされて…」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

3月20日にプロ転向の会見を行った石井琢朗と次女のさやか。石井琢朗が在京球団へ“転職”した裏には娘の存在があった

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赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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Yuki Suenaga

 17歳の石井さやか(ユニバレオ)は、ジュニアからプロに転向したばかりの女子テニスの新星だ。父親はプロ野球・横浜DeNAベイスターズのチーフ打撃コーチ石井琢朗(52)。グランドスラムでの優勝を目標にしている。プロアスリートの親子はいかにして世界のトップを目指すスタートラインへ辿り着いたのか。親子対談形式のインタビューで率直に、かつ赤裸々に語ってもらった。(全2回の1回目/#2も)

パパが見たらさやかが負けるから見ないで

 さやか「20歳か21歳でITF(国際テニス連盟)からWTA(女子テニス協会)に昇格して、世界トップハンドレッドに入りたいなと思います。22歳から24歳のころには、グランドスラムに出場したい。目標は優勝です」

 そう意気込みを語るさやかの試合を、父・琢朗は、あまり見る機会がないという。

 琢朗「ジュニアの試合はよく見に行きましたが、いつもイライラ、ハラハラして、気が気じゃない。プロになって、成長ぶりがわかるようになったら、また見に行こうかな。家内(詩織夫人)には、『パパが見たらさやかが負けるから見ないで』と言われていますけどね(苦笑)」

 照れ臭そうにそう語る琢朗は選手時代、俊足巧打堅守の内野手として活躍し、1998年に横浜の優勝と日本一に貢献した。歴代11位の通算2432安打という記録を打ち立て、プロ野球のレジェンドのひとりと呼ばれている。

全豪ジュニアベスト4の期待の星

 琢朗「これからはさやかがレジェンドと呼ばれる番だよ。それぐらいの意気込みで臨んで、また実際にそこまでいかなきゃいけない」

 さやか「ジュニアまではお父さんの娘が石井さやかだと言われましたけど、プロになってからは逆に、さやかの父親がプロ野球選手だったと言われるように、頑張ります」

 静かな口調で、しかしはっきりとそう語るさやかには、着実にスキルアップしているという自覚と自信がある。

 さやか「自分の最大の武器は、とにかく打ち込むことです。その武器を、もっと相手に嫌がられるようにしなきゃいけない。そのために、ただ真っ直ぐ打ち込むだけじゃなくて、これまでと違う戦術、違うパターンで最大限に武器を活かしていく。その練習の成果は、1月の全豪でも出せたんじゃないかな」

 さやかは、その全豪オープン女子ジュニア部門でシングルス、ダブルスともにベスト4に進出。シングルス準決勝では逆転負けしたが、確かな手応えも感じたという。

琢朗「わかってるじゃない」

 さやか「負けたとは言っても、まったく歯が立たなかったわけじゃない。ほんの少しの差で負けちゃったから。プロでもいける、チャンスなら全然ある、と思ってます」

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