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アントニオ猪木「アリ戦以上の話題に…」幻に終わったイロモノ企画「猪木vs“食人大統領”アミン」とは何だったのか?“常識破りで規格外”な人間性 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph by東京スポーツ新聞社

posted2023/03/27 17:00

アントニオ猪木「アリ戦以上の話題に…」幻に終わったイロモノ企画「猪木vs“食人大統領”アミン」とは何だったのか?“常識破りで規格外”な人間性<Number Web> photograph by 東京スポーツ新聞社

1979年1月25日、東京・京王プラザホテルで行われた「猪木vsアミン大統領」の記者会見

「食人大統領」アミンとの“幻の一戦”とは

 ウガンダ共和国の現職大統領だったイディ・アミンは、1971年に軍事クーデターで権力を掌握後、軍事独裁政権を樹立。反対勢力を次々と粛清し、30万人とも40万人とも言われる国民の大量虐殺を行ったことから「ブラックヒトラー」「アフリカで最も血にまみれた独裁者」と称され、世界的に非難される超曰く付きの人物だった。それは「虐殺した政敵の肉を食べた」という真偽不明の噂が立ち「食人大統領」という異名がつくほど。

 そんなアミン大統領とアントニオ猪木を対戦させようと動いたのが、「虚業家」を自称する康芳夫。1960年代から70年代にかけて、テレビ局とタイアップして次々と奇怪な企画を実現させてきた、昭和の名物興行師、プロデューサーだった。

 康はもともと1972年に日本武道館でモハメド・アリvsマック・フォスターを実現させ、猪木vsアリのコーディネートにも関わった人物だが、その一方で、謎の類人猿オリバーくん来日や石原慎太郎を隊長とした国際ネッシー探検隊を組織。さらにハイチで野生の虎と空手家の闘いを実現させようとするなどキテレツなプロデュースも目立ち、その究極のイロモノ企画がアントニオ猪木vs食人大統領アミンだった。

特別レフェリーはモハメド・アリ

 猪木は1998年に出版した『猪木寛至自伝(のちに『アントニオ猪木自伝』と改題して文庫化)』(新潮社)で、アミン大統領との一件をこう振り返っている。

「皆冗談だと思っていただろうが、あれは康芳夫という呼び屋が持ってきた話で、かなり具体化したのだ。その頃のアミンは大変な悪役で、今で言えば、イラクのフセイン大統領のような人物だ。アミンは少なくとも八万人以上を虐殺している独裁者だった。政敵を殺してその肉を食った“人食い大統領”としても悪名高かった。元ボクサーで、軍隊のチャンピオンだったという経歴も持っている。

 当時のウガンダは大変な財政難だったから、起死回生のイベントで国を立て直そうという、あれは国家的プロジェクトだったのである。特別レフェリーとしてモハメド・アリの参加も決まった」

 実際、猪木vsアミン大統領は1979年1月25日、東京・京王プラザホテルで猪木と康が共同で記者会見を行い、一度“正式発表”されている。

【次ページ】 “壮大なホラ話”はなぜ実現に向かったのか?

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