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「レスラーに引退はないんだろうけど…」蝶野正洋がデビュー25周年で告白した闘魂三銃士への思い「スタートが一緒だからライバルになれた」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byToshiya Kondo
posted2023/03/06 17:02
武藤敬司のデビュー25周年興行にメーンで登場した蝶野正洋(2009年撮影)
「首都圏のなかで、千葉の観客動員が一番悲惨だった。じゃあ、俺がそこで1回やってみるよ、と手を挙げたんだ。観客動員が苦しくても、若いレスラーたちは頑張っていた。新日本は、ピンチになったら誰かレスラーが支えるという歴を繰り返してきた。この連中ならやってくれるだろうと思ったから、彼らのために何かできることをやっておきたかった。俺が支えられる範囲でね」
地元の警察やメディアを回ってPR活動を行ない、関係者への挨拶回りや、会場では照明やイスの位置にまでこだわった。その甲斐あって多くの観客を集めることに成功し、秋には同じ幕張メッセの興行で、証券会社と手を組んで資金調達にファンドを用いるというスポーツ界初めての試みにも挑戦した。
新日本からは離れず、自身でGMを務めて立ち上げたイベント「PREMIUM」では、他団体の選手を積極的にリングに上げた。それはレスラーを救済する意味合いが強い試みであった。蝶野は、裏方としてプロレス界の状況を好転させようと試みた。そして、彼ならではの視点でこの危機的な状況を説明する。
「プロモートしたいという人は結構いるけど、受け皿がないんだ。アパレル業界でも同じことを感じているんだけど、売れる場、買う人がいないのに過剰な生産をしてしまっている。ビジネスが下手くそだね。興行のあり方はしっかり考えていかないと、うまくいくわけがない」
洒落た店、カフェ、オフィスなどが並ぶ、華やかな街並みの一角に、蝶野正洋のアパレル会社「アリストトリスト」はある。表参道の一等地だ。(*現在は、銀座に移転)
ショウルームと繋がったオフィスの奥の席に蝶野は大きな体を据え、書類に目を通していた。デザイナー兼取締役会長の妻、マルティナが、2人目の子供を出産して子育てに専念しているため、あらゆる業務を一人で取り仕切らなければならない。
デビュー25周年興行のテーマは「闘魂三銃士」
今年12月で10周年を迎えるこの会社で、10月12日に両国国技館で開催される「蝶野正洋デビュー25周年興行」を主催することにした。その準備のための連絡も含め、ひっきりなしに電話が鳴る。
「新日本から25周年の企画が上がってこなかったんだ。だから自分でやることにした。俺と新日本にはいつもそんな距離感があるね」
主催ということは、失敗すれば金銭的なリスクを背負うことになる。それでも新日本からわざわざ興行権を買い取って、蝶野自身がプロデュースすることにこだわるのには、理由があった。