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蝶野正洋が明かしていた”闘魂三銃士”武藤敬司との決別「頭にきたんだ!」武藤なき新日本プロレスのリングでアントニオ猪木に放った一言

posted2023/03/06 17:00

 
蝶野正洋が明かしていた”闘魂三銃士”武藤敬司との決別「頭にきたんだ!」武藤なき新日本プロレスのリングでアントニオ猪木に放った一言<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

武藤敬司の「デビュー25周年興行」に出場した蝶野正洋(2009年撮影)

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph by

Toshiya Kondo

 武藤敬司の引退試合で、最後の最後にリングに上がることをサプライズ指名された蝶野正洋。必殺技のSTFで武藤敬司をギブアップさせ、「闘魂三銃士」のフィナーレを飾ったのだった。新日本プロレスに同日入門し、「闘魂三銃士」として名を馳せた蝶野と武藤は、その後、袂をわかちながらも時に盟友として、時にライバルとして道を歩んできた。
   その経歴を描いた「[ナンバーノンフィクション]蝶野正洋の距離ーー闘魂三銃士の25年」(初出:Number1037号/2009年9月17日発売)を3回シリーズで特別に無料公開します。<全3回の1回目/#2#3へ>

◆◆◆

   2009年8月30日、蝶野正洋は両国国技館にいた。全日本プロレス社長、武藤敬司の「デビュー25周年興行」のメーンイベントに出場していた。

 蝶野のパートナーは鈴木みのる。一方の武藤は船木誠勝と組んでいる。リング上の4人全員が新日本プロレス出身のレスラーだった。しかも鈴木以外の3人は、共に1984年に入門している。 

 蝶野はリングに足を踏み入れると同時に、時の流れに奇妙な感慨を覚えた。 

「向こうのコーナーにいる武藤選手と船木選手の姿が目に入ったとき、25年前を思い出した。この組み合わせは新弟子のときに見たな、ってね。でも、その新弟子たちが今、大舞台でメーンを張っているんだと思うと、なんか不思議な気持ちになったな」 

 蝶野と武藤が組み合ってスタートした試合は、プロレス復帰戦となった船木の活躍もあって、武藤が自星を飾って終わった。試合後、報道陣に囲まれた船木は、久しぶりに肌を合わせた同期の蝶野をこう評した。

「蝶野選手は、なんかコンニャクみたいなんですよね。 効いているのか効いていないのかさっぱり分からない」   

 蝶野の懐の深さを船木がこう表現したことに、「ガハハハ」と隣で武藤が大笑いする。観客の入りもよく、この日の武藤は上機嫌だった。

 しかし、記者の質問の矛先が武藤に向けられると、「ちょっと待ってくれ」と、それを制した。 

「ワリイ、もう少しだけ25周年に浸らせてくれよ――」

蝶野が明かす「闘魂三銃士」の関係とは? 

 華やかに成功した興行だったが、この”同窓会”には一人 、欠席者がいたのだ。武藤と蝶野が25周年を記念するならば、当然いなくてはならない男がいなかった。 

 それは4年前、40歳の若さながら脳幹出血で他界した橋本真也である。彼の不在により、「闘魂三銃士」と呼ばれた、同時期に新日本プロレスに入団した3人は、この日、揃い踏みすることは叶わなかった。 

「武藤選手が長男、俺が次男で橋本選手が三男みたいなものだね。それはずっと変わらなかったよ。最後まで」  

 蝶野は、3人の関係を兄弟になぞらえて説明する。

【次ページ】 ワルくて強くて、カッコいいーー新しいヒール像

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