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「模試で東大DかE判定」だったのに…なぜTBS喜入友浩アナは一浪で赤門合格できたか「前日、試験にどう臨むか考えた」捕手的思考
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byTakuya Sugiyama
posted2023/02/18 11:15
東大野球部出身のTBS喜入友浩アナウンサー。その合格記を聞いた
「いや、そういうわけでもないんです。アメリカで生まれたので英語にはアレルギーがなく、絶対的な得意科目は国語で、日本史も得意でした。一方で理科と数学が苦手だったんです。典型的な文系でしたが、数学と理科から逃げたくないという思いで理系に行きました」
「浪人時の模試はほぼ〈D判定〉だったんですよ」
うん、そこで不得手な理系を選べる時点でスーパーです。
200%畏敬のまなざしで筆者が話を聞く中で、喜入アナは「受験まで苦しみました」と当時を回想する。さらに「高2で東大に行きたいと思った頃には、時すでに遅しで」という学力だったそう。当時のセンター試験では足切りされてしまうレベルの低い点数しか取れず、受験した名古屋大も「ちゃんと落ちて」浪人生活となった。そこから東大を本格的に目指す1年に入るのだが……。
「以前、僕のTwitterでも画像つきで投稿したのですが、浪人していたときの模試はほとんど〈D判定〉だったんですよ。どうぞ、見てください」
――本当だ。もっと言えば入試本番3カ月前に「E判定」だったこともあるじゃないですか。
「そうなんです! 化学では〈6点〉を取ったこともあるんですよ。予備校によっては〈D判定〉が最下位判定なので、1年間ずっと一番下の判定だったんです」
――自分がそうだったんですが、模試でD・E判定が出た時点で「ああ、この大学は難しいだろうな」とか考えなかったんですか?
「ブレなかったです。ただ同じく浪人していた人からは『お前、その成績で東大志望出すってバカじゃね?』と言われていました。今となってはその人もそう言うよな、とも思いますが(笑)。それでも当時は本気で〈東大に行く、そして神宮で野球をしなければ意味がない〉くらいに思っていましたね。あと、高校の卒業式の時、野球部の監督にもらったメッセージに『東大のキャッチャーになれ』と書いてあったんです。卒業式時点ではまだ大学に合格しているか不合格か分からない状態なのに、そう書いてくれたということは〈一浪、二浪してでも行ってほしい〉というメッセージだったのだろうなと受け取って、それもモチベーションにしていました」
まるで捕手がリードを考えるような試験プランニング
卒業式から1年後、センター試験は通過する。ただ、どう見ても勝ち目の薄そうに見える入試本番、喜入アナはどう“逆転勝利”を手にしたのか。そこにはまるでキャッチャーが1試合のリードを考えるかのような「プランニング」があった。
「東大の試験は全得点の半分を取れたら上出来、4割でも受かるというレベルの難易度なんです。例えば……英語は120点のうち70~80点はコンスタントに取れていて、国語も80点のうち50~60点はいける。数学は120点なのですが、1問20点の問題が6問ある。1問か2問完答して、それに加えて、他の問題で部分点を取っていくというような形ですね」
自分も受験時は「国語、社会、英語トータルで6割ちょっと取れてればいいか」くらいには考えた記憶があるが、喜入アナはとても具体的に戦い方をイメージしていた。それは本番直前、故郷の福岡から上京したホテルでの前日の過ごし方にも表れていた。