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「模試で東大DかE判定」だったのに…なぜTBS喜入友浩アナは一浪で赤門合格できたか「前日、試験にどう臨むか考えた」捕手的思考 

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茂野聡士

茂野聡士Satoshi Shigeno

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2023/02/18 11:15

「模試で東大DかE判定」だったのに…なぜTBS喜入友浩アナは一浪で赤門合格できたか「前日、試験にどう臨むか考えた」捕手的思考<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

東大野球部出身のTBS喜入友浩アナウンサー。その合格記を聞いた

「そうなんです。もともとは小学校2年生で始めた野球、それとゲームが大好きだったんです。でも4年生の頃にお医者さんの息子さんが転校してきて、同級生になったんです。その彼がまあ、鮮やかに勉強できるし黒板で答えを書く姿もカッコイイ。さらに友達に勉強も教えるなど優しさや賢さがあって、すごく人望があったんです。そこで〈あ、スポーツだけしているようではダメだ!〉と気付かされて、その彼と同じ塾に通うようになり、勉強にも火がついたんです」

――だけど、喜入さんもきっと優等生だったんじゃないでしょうか。

「いやそれが、めちゃくちゃヒドかったんです。勉強が全然できず6、7段階あるクラスで一番下からのスタートでしたし、先生にもよく怒られていました。なので〈受かるところはほぼないだろう〉と言われていた中で、中学受験で3校受かってしまったんです」

中学時代は「週4日シニア、週3日は吹奏楽部」

 喜入アナは東大合格時にも勝負強さを見せるのだが――中学受験からその才覚の一端を発揮していた。そんな喜入少年が選んだのは、福岡教育大学附属福岡中学校。国立だが高校がなく、3年後には再び受験しなければいけない。当初は中高一貫の私立校に通おうとしていたが、祖父から「絶対に今後、修猷館に行きたいと言うようになるから、この学校にしなさい」と言われて同校を選んだという。

 なお中学校時代の喜入アナは「週4日シニアリーグで野球をやるとともに、学校の部活めぐりをしていたらドラムに出会ったことがきっかけで、週3日は吹奏楽部という生活をしていました」とのこと。それを両立させつつ「絶対に修猷館に行くんだ」という気持ちを切らさず、推薦で合格したのだという。

「授業をきちんと受けて、テスト前に二度手間にならないように一発で覚えるよう勉強していました。あとは先生が熱を込めて話しているところは〈絶対テストに出るのでは〉と、教科書にしっかりマークをしていました。それこそ捕手として相手バッターを観察するように、傾向を読むように考えながらやっていましたね」

「六大学で野球するなら東大しかない」ってホント?

 すでに高校入学時点までの受験歴・勉強法がスゴい……が、本題は東大受験の話。実際に聞いてみなければ。喜入アナ「東京六大学で野球をするなら東京大学しかない」って思っていた説、ホントなんですか?

「そうです! それは本当の話です」

 盛り要素がない事実なのか。ただ喜入アナはこのようにも続ける。

「東大野球部の人に聞けば、たぶん9割9分、そう答えます。東大野球部では常識です。野球が好きで、強いところで、神宮でやりたいけど、下手だから東大、という感じなんですよ。ただ僕の場合、高1~2の頃は野球が全然伸びない状態でした。でもたまたま、勉強に関してはやれば伸びていた。言うならば〈野球よりも勉強の方が高い成長率だった〉ということです。例えばプロ野球選手であれば野球の方が高い成長率だった結果、そういった世界に進んでいるわけなので、東大野球部に入るということはそういったことを自覚した上でのものだと思います」

 なんという自己分析力。さすがキャッチャーをやっていただけあるという頭脳だ。そうなるとたぶん、全ての科目が抜群にできたのだろう。と口にすると、喜入アナは否定する。

【次ページ】 「浪人時の模試はほぼ〈D判定〉だったんですよ」

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