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ヘッドスライディングで骨折→翌年も再び…なぜ? 元DeNA倉本寿彦32歳が明かす“戦力外への焦り”「その一本で人生が変わるんですよ」 

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日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

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photograph byKyozo Hibino

posted2023/02/21 11:03

ヘッドスライディングで骨折→翌年も再び…なぜ? 元DeNA倉本寿彦32歳が明かす“戦力外への焦り”「その一本で人生が変わるんですよ」<Number Web> photograph by Kyozo Hibino

昨年、横浜DeNAベイスターズから戦力外通告を受けた倉本寿彦がNumberWebの取材に応じた

 いくつかの思い出される場面がある。倉本はレギュラーだったころ、サヨナラの一打を何度か放った。一塁を駆け抜けて、そのときだけは満面の笑みを浮かべてバンザイのポーズを見せた。

「好きなんでしょうね、ああいうのが。普段からあれぐらい(感情を)出したいんですけどね。でも、一線を越えてしまうとコントロールできなくなって、そのあとが悪くなりそうな気がして……」

 感情を出さないがゆえに誤解もされがちな男だが、いつだって、その体の真ん中で熱い思いをたぎらせ続けていた。

シーズン後に戦力外通告

 広島戦での決死のスライディングは出塁に結びついた(記録は三失)。しかし、結果的にはわずかな延命にしかならなかった。6月にファーム降格、8月に一軍昇格、そして9月の終わりに再びファームに落とされた。

 CSファーストステージでチームの敗退が決まった10月10日の夜、倉本のもとに球団から連絡が入る。翌日、出向いた横浜スタジアムで戦力外を通告された。

「あ、こんな感じなんだ、と。もう少し早く言ってもらえていれば、すっぱり終われたかもしれない。少しは貢献したと思ってるし、消化試合で引退試合をさせてもらえていたら、という気持ちも……。でも、それは選手のわがままですから」

 倉本のベイスターズでの最終出場は9月27日のドラゴンズ戦。9回に、守備固めで一塁手として守りについた。最後の打席は、同7日のジャイアンツ戦まで遡る。このときも途中出場で1度だけ打席に入り、結果はレフトフライだった。その記憶が本人ですら明確でないことが、さみしい。

 通告を受けた倉本は迷った。野球選手であることを辞めるか、否か。続けるとしたら、その舞台はどこなのか。このインタビューの時点でも、状況は変わっていなかった。

「ちょっとは明るくなってきましたよ。最初はNPB(での現役続行)にこだわってましたけど、もう2月ですし、現状やっぱり厳しいじゃないですか。これからでも(獲得のオファーが)来たらいいなという気持ちはありながら、ただ待っていてもダラダラと過ぎてしまうので、そろそろ決めないといけないなって。前向きなスタートが切れるような決断をしたいと思います」

【次ページ】 「やっぱ帰ってきたいですよ、ベイスターズに」

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