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韓国戦で代打決勝2ラン、福留孝介28歳はあの打席で何を考えていたのか「何とかしようとかは考えていない」「あそこで自分のスイングをするために…」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byNaoya Sanuki
posted2023/03/10 11:03
2006年、第1回WBC準決勝、韓国戦――。それまで打率.105に終わっていた天才打者は”あの打席”で何を考えていたのか
「俺は結構、バッティング練習で孝介相手に投げていたから。本人が修正しようと思ってもできなかった部分が、この準決勝までにかなり修正できてきたと感じていた。だから、予感めいたものがあったんだよ」
この時、福留が悩んでいたことのひとつが、打ちにいった瞬間かかとに体重がかかり過ぎてしまうことだったという。そのために体が開き、遅い球に泳ぎ、速い球に振り遅れるという悪循環になっていた。
日々、打撃投手として福留に向かい合ってきた谷繁はそれが解消されつつあるとおそらく誰より早く気づいていた。間に合わないと思われた、1カ月という時間的なビハインドが埋まろうとしていた。
6番の今江敏晃に代えて、代打・福留――
午後7時20分に始まったゲームは0-0のまま終盤を迎えていた。日本は相変わらず重苦しさに縛られていた。それまでと同じように韓国の投手陣が日本の打線を封じるという構図だった。スコアは同点なのに、追いつめられているような空気だった。
7回表、4番の松中信彦がライト線へツーベースを放った。続く5番の多村仁が送りバントを失敗して1死二塁となったところで、王監督が動く。6番の今江敏晃に代えて、代打・福留――。
ベンチの谷繁が身を乗りだした。
福留は2度、3度とスイングするとバットだけをじっと見つめ、打席へ向かった。
「生き返れ、福留!」
マウンドにはアジア人として初めてワールドシリーズに登板した元ダイヤモンドバックスのクローザー・金炳賢がいた。
昼時を迎えた日本へ向けて、このゲームを中継していたテレビ放送席で実況アナウンサーが叫んだ。