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箱根駅伝10区、中央大4年生は左腕に“走れなかったライバル”の名を書いた…準優勝アンカーが明かす「アイツのことが頭に浮かんで…一緒に走れたらと」
text by
加藤秀彬(朝日新聞)Hideaki Kato
photograph byHiroyuki Nakamura
posted2023/01/24 11:00
今年の箱根駅伝、中央大にとって22年ぶりとなる3位以内、準優勝のゴールテープを切った助川拓海。その左腕には”戦友”の名が刻まれていた
田井野のサングラスを貸してくれ
「大丈夫かって連絡をくれて。『せっかくだから田井野のサングラスを貸してくれ』って千守が言ってきてくれました」
千守は、田井野のサングラスをかけて当日のレースに臨むことにした。
田井野は1月1日に藤原監督から連絡をもらい、体調が良ければ復路のサポートに来ることを許可された。大手町のゴールで助川を出迎えると志願した。
「助川はやっぱり4年間一緒にやってきたし、4年生が復路に多かった。ゴール地点でみんなに会えたらと思って行きました。最後はネガティブな気持ちもなくて、純粋に1年間の集大成のゴールを見守りたかった」
達成感と安堵感と、いろいろなものがこみ上げてきました
首位の駒澤大が優勝を決めてから1分42秒後、助川が右手を挙げてゴールに飛び込む。そして勢いそのままに田井野のもとへと駆けていった。
田井野はテレビ中継を見られず、ゴールした助川の左腕にタオルをかけていたため、自分の名前が書かれていたと知ったのは、控室で着替えをする途中だった。
田井野には広島・世羅高時代にも似たような経験があった。3年時の全国高校駅伝でメンバーから外れ、出走することができなかった。その時も同級生の選手が同じように腕に名前を書いて走ってくれた。順位も、今回の箱根と同じ2位。照れくさそうに、こう口にする。
「デジャブみたいな感じでしたね。うん、嫌ではなかったです(笑)」
助川からは、駆けつけた田井野への感謝があふれた。
「最後の最後に、応援に来られるかも分からなかった田井野が待っていてくれた。達成感と安堵感と、いろいろなものがこみ上げてきました」
左手で目頭を押さえ込むアンカーの傍らには力走を称えるライバルの姿があった。
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