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箱根駅伝10区、中央大4年生は左腕に“走れなかったライバル”の名を書いた…準優勝アンカーが明かす「アイツのことが頭に浮かんで…一緒に走れたらと」 

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加藤秀彬(朝日新聞)

加藤秀彬(朝日新聞)Hideaki Kato

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photograph byHiroyuki Nakamura

posted2023/01/24 11:00

箱根駅伝10区、中央大4年生は左腕に“走れなかったライバル”の名を書いた…準優勝アンカーが明かす「アイツのことが頭に浮かんで…一緒に走れたらと」<Number Web> photograph by Hiroyuki Nakamura

今年の箱根駅伝、中央大にとって22年ぶりとなる3位以内、準優勝のゴールテープを切った助川拓海。その左腕には”戦友”の名が刻まれていた

藤原監督が助川をアンカーに選んだ理由

 10区を誰が走るのか。選考は、12月の練習の出来次第だった。下級生の選手も争いに加わる中、一歩抜け出したのが助川だった。

 藤原監督は助川を選んだ理由をこう語る。

「直前の調子や乳酸のトレーニングの数値を見て、一番良かったのが助川でした。それと、どうしても走りたいという執念を一番彼に感じたのが大きかった」

 助川はこれまで、勝負所でのメンタルに課題があった。3年時の全日本大学駅伝(4区13位)や4年時の関東インカレハーフマラソン(13位)など、主要大会で思うような結果が出なかった。「中間層の底上げ」をテーマに掲げていた昨夏の蔵王合宿でも、当事者である自覚がありながら序盤のケガで離脱した。

 ただ、そこからの成長を藤原監督は見ていた。箱根前の練習で、助川は往路の選手たちのために設定された速いペースのメニューに進んで取り組んだ。集団で走る練習では、率先して前を引っ張った。

 藤原監督は言う。

「どうしても、何が何でもっていう気迫を端々に感じました。私がいつも選手たちに言うのは、決して良い時ばかりじゃないよと。ダメになった時に試されているから、そこでどういう行動を取るかで競技成績や人生が変わる」

 その思いを汲み取った助川の行動を評価し、メンバーに選んだ。

田井野は走れないと知った直後に隔離となって…

 一方の田井野は、12月28日にメンバーから外れると伝えられた。さらにその日の夜、微熱や頭痛の症状が出始めた。同部屋だった選手がインフルエンザにかかっており、念のため寮の別室で隔離されることになった。

「最後なのにだれにも会えないし、僕だけチームの仕事もできなくて……。ちょっと無気力になってしまいました。ぶっちゃけ、もうどうでも良いみたいな」

 結局インフルエンザには感染していなかったが、寮長としてもこの1年チームを支えてきただけに、最後に何もできないことがもどかしかった。

 そんな田井野の元へ、本番前に同級生から電話がかかってきた。7区を走る千守倫央(4年)と8区の中澤雄大(4年)からだった。

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