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大八木弘明監督の「走り方が汚い」でスポーツ推薦を断念…駒澤大“常勝軍団”の礎を築いた主将・神戸駿介が明かす「“一般組”がキャプテンになるまで」
posted2023/01/22 11:00
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
Shigeki Yamamoto
あの時の表情が今でも忘れられない。
2年前の1月3日、駒澤大は10区で創価大を逆転し、13年振り7度目となる箱根駅伝優勝を決めた。その直後に開かれた優勝会見で、走ったメンバーと共にひな壇に上がった神戸駿介主将は、口を真一文字に結んで笑おうともしなかった。
硬い表情をしていたのは多分、疲れていたからじゃないですか
胸が痛んだのは、記者からこんな質問が飛んだときのことだ。
当日変更で区間エントリーされていた3人の4年生が外れて、代わりに下級生が入った。その意図について聞かれると、大八木弘明監督は少しためらいながらこんな風に答えた。
「4年生も一生懸命チームを引っ張ってくれましたが、若い力も試してみたかった。来季以降のことを考えて、同じくらいの調子であれば、今回は勢いのある下級生を使おうということでこういう編成になりました」
あの言葉を、神戸は当時、どんな思いで聞いていたのだろう。
神戸もまさに、当日変更で交代を告げられた4年生の内の一人だった。主将でありながら、最後の箱根駅伝に出られなかったのだ。
それは今も苦い記憶のままなのだろうか――。
「僕らの代はわりと強かったんですけどね」
神戸が笑顔で切り出す。
「でも、最終学年になった頃には下級生の勢いがすごくて、4年生で出場できたのは一人だけでした。あのとき硬い表情をしていたのは多分、疲れていたからじゃないですか。自分は走ってもいないのになんでこの場所に呼ばれたんだろうっていうのもあったと思います」
駒澤大を卒業後、実業団の小森コーポレーションに入社し、神戸は今も陸上を続けている。実業団に進もうと考えたのにも、あの挫折体験が大きく影響していた。
「大学時代は本当に情けない結果でしか走れなくて、駅伝にも良い思い出がなかった。それを晴らしてから陸上人生を終わりたいなという思いがあったので。実業団に進んだ理由はそれが大きいです」
振り返れば、陸上人生で幾度となくつまずいてきた。