酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
〈あのドラ1の今〉偏差値トップ進学校→慶大屈指の左腕→ヤクルトで肩痛27歳引退も…「妻と出会って」加藤幹典が戦いきれた理由
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2023/01/07 11:03
ヤクルトにドラフト指名され、胴上げされる慶大当時の加藤幹典
「それでも毎年一軍に上げてもらったのは『ドラフト1位だったから』でしょうね。僕の中では絶好調の時期は全くなくて、とにかく頑張って腕を振って何とかボールを投げるだけでした。でも、そういう状態で通用することはありません。プロ野球というのは厳しい世界です。いい状態でいかないと、本当に難しい世界になります」
トライアウトも受けませんでした
ヤクルトの監督は高田繁、小川淳司の時代だ。
「苦しい時代に今の妻と出会って、いろいろ生活環境がうまくいかないときに言われたのが、『給料は我慢料だよ』という言葉です。何をするにせよ、仕事でやる限りは結果を求められるし、給料をもらっているんだから我慢もしなければならない。そこはしっかりやらないと。ちゃんとやりなさい、と。それが心の支えになりました」
しかし故障は一向に癒えることはなく、加藤は2012年、5年のキャリアでプロ野球生活を終える。
「結局、手術はせずに電気治療などを受けていましたが、一向に肩の状態は上がってこなかった。最後は痛みもあったので、痛み止めを打っていました。最後になった2012年は一軍では登板していません。
12球団合同トライアウトも受けませんでした。状態は良くないし、野球はあきらめてセカンドキャリアに挑戦したいと思っていた。球団に残って指導者や職員になることも考えてはいませんでした。それよりも最終的には資格を取って独立すると当時は思っていました。プロの世界でも何とかやってこれたのだから、他でもなんとかなるんじゃないかと根拠のない自信はあったんですね」
一軍での通算成績は23試合1勝3敗46.1回、防御率9.13。
二軍では76試合21勝14敗304.1回、防御率3.40。
二軍成績を見る限り、全く通用しないと言うレベルではなく、何かがあれば、彼のキャリアはもう少し長かったかもしれない。
しかし加藤は27歳でプロ野球生活を終えたのだった。
<#4につづく>