酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
〈あのドラ1の今〉偏差値トップ進学校→慶大屈指の左腕→ヤクルトで肩痛27歳引退も…「妻と出会って」加藤幹典が戦いきれた理由
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2023/01/07 11:03
ヤクルトにドラフト指名され、胴上げされる慶大当時の加藤幹典
「この年の大学・社会人ドラフトの目玉は東洋大学の大場翔太と愛知工業大学の長谷部康平と僕で“大学BIG3”と呼ばれました。大場は6球団が指名してソフトバンクに行き、長谷部は5球団で楽天に、そして僕はヤクルトの単独指名でした。
前年の六大学とプロとの交流試合で、当時プレイングマネージャーだった古田敦也さんに球を受けてもらう機会があって、高く評価していただきました。そのことでヤクルトに単独指名していただいたんですが、古田さんは翌年には退団されて、僕自身一緒にプレーしたことはありません」
東京六大学屈指の左腕投手として――即戦力の期待がかかった加藤だったが、1年目の春に異変が起こる。
「1年目のキャンプで今まで通りの調整を続けてきたんです。いつもなら春先に、ここから調子が上がるだろうと思っていたのが上がらなくて“なぜだろう”と思っていた。チームドクターにも見ていただいたのですが、原因がわからないまま、野球を続けました。ずっと調子が上がらなかったのですが、3年目に肩肘を痛めて精密検査を受けたら、肩甲上神経麻痺だとわかったんです。
肩甲上神経は、肩の動きで大切な役割をする棘上筋と棘下筋をつかさどる神経ですが、ここがマヒしていた。このあたりにガングリオン(コブ状の腫瘤)ができて、神経を圧迫した可能性もありますが、正確なところはわかりません」
「治る確率は5%だよ」と医師に言われると…
違和感があり、成績も上がっていなかったのに、それを3年間放置していた。それが、加藤の野球人生にとっては致命傷になった。
「1年目に違和感があったときに僕自身は気づいていたのですが、自分でストップをかけられなかった。入団1年目でもありましたし。
もしガングリオンなどが見つかったとしても、早い段階で手術で除去すれば2、3カ月で治ることもあります。ただ3年間放置した後では、すでに長い期間、神経を圧迫していた。手術したとしても『治る確率は5%だよ』と医師に言われると、僕はメスを入れる勇気はなかったんです」
加藤は毎年数試合に投げるものの、結果が出ない日々が続いた。