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〈あのドラ1の今〉偏差値トップ進学校→慶大屈指の左腕→ヤクルトで肩痛27歳引退も…「妻と出会って」加藤幹典が戦いきれた理由

posted2023/01/07 11:03

 
〈あのドラ1の今〉偏差値トップ進学校→慶大屈指の左腕→ヤクルトで肩痛27歳引退も…「妻と出会って」加藤幹典が戦いきれた理由<Number Web> photograph by JIJI PRESS

ヤクルトにドラフト指名され、胴上げされる慶大当時の加藤幹典

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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 元ドラフト1位がプロ野球の世界を去った今。一場靖弘と加藤幹典の連続インタビューをお届けします(全4回の3回目/#4へ)

 東京インディペンデンツはどの中学野球団体にも属さない中学の野球チームであり、子供たちが「高校以後に野球で活躍する」ことを目的として選手を育成している。また子供に「シーズン当たりの打席数、投球回数」を保証しているユニークなチームだ。

 この東京インディペンデンツの創設時から選手を指導しているのが、2007年、慶應義塾大学から大学生・社会人ドラフト1位でヤクルトに入団した加藤幹典氏だ。選手、指導者としての野球人生について聞いた(以下敬称略)。

偏差値トップの進学校から慶大のエースに

 加藤は神奈川県横浜市出身。野球に出会ったのは早く、幼稚園の時だった。

「幼稚園の年長の時に兄が少年野球チームに入って、クリスマス会の時に親に一緒に連れられてチームに行ったのがきっかけです。もともとサッカーをやる気だったのですが、“野球は楽しいよ”と言われて、兄がいた学童チームに入りました。中学での部活も軟式野球でしたが、チームはそれほど強くなかった。でも高校野球の指導者の方が僕のことを“面白い”と言ってくださって、数校の高校からお誘いを受けました。その中から神奈川県立川和高校に進みました」

 ちなみに2歳年下の弟・加藤貴大は八王子高出身で、明治学院大から独立リーグ富山を経て2011年、育成1位で楽天に入団している。

 川和高校は学区では偏差値トップの進学校。しかし私学の強豪ひしめく神奈川県では公立高校から甲子園への道は程遠い。例えば夏の大会では加藤の卒業後、2007年に準々決勝で横浜高校に敗れたのが最高成績だ。しかし高校時代の加藤は大学関係者から注目される投手だった。

「左で球速は142km/hくらいでした。2年生秋に新チームになって秋季大会で東海大相模を破ったのがきっかけで注目されるようになり、AO入試で慶應義塾大学に進みました」

 ここで加藤の才能は花開く。

「球速が毎年2km/hほど伸びた感じでした、持ち球は縦のスライダー、横のスライダー、カーブ、チェンジアップです。1年の秋からエースになって、大学通算で30勝を挙げました」

慶大で最も三振を奪い、ドラフトの目玉に

 慶應義塾大の投手では宮武三郎(のち阪急)が38勝3敗、藤田元司(のち巨人)が31勝19敗しているが、加藤は30勝17敗の好成績を残した。また奪三振371は、東京六大学史上5位、慶應義塾大では1位の記録だ。

 4年になった2007年には、大学屈指の左腕投手として全12球団から声がかかった。

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