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82歳で死去ペレは「9歳で号泣の父とW杯優勝」を約束した…「ゴールより美しいノーゴール」伝説、悲しみのブラジル報道「キングは永遠」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2022/12/31 11:07
ブラジル現地紙はペレ死去について、多くのページを割いて悼んだ
欧州の大柄なDFを華麗なドリブルやシャペウ(相手の頭越しにボールを跳ね上げてかわす)などの斬新なテクニックで翻弄する。さらに準決勝フランス戦でハットトリック、決勝スウェーデン戦でも2得点を記録し、6得点の大活躍でブラジル初優勝の立役者となった。9歳のとき父親に誓った約束を、わずか8年後に果たしたのである。
ペレによって「背番号10」はエースナンバーに
この大会で、ペレは背番号10を付けてプレーした。それまでこの番号は2列目左サイドかトップ下の選手が付けることが多かったが、ペレの活躍によってブラジル、ひいては世界中で「チームで最も優れたアタッカーが付けるエースナンバー」となった。
アルゼンチン代表FWリオネル・メッシ、フランス代表FWキリアン・エムバペ、ブラジル代表FWネイマールら偉大な選手が代表で背番号10を付けるのは、ペレに倣っている。
1962年のW杯にも出場し、グループステージ(GS)最初のメキシコ戦で得点をあげた。しかし、続くチェコスロバキア戦で負傷し、以後の試合を欠場。それでも、ブラジルは右ウイングのガリンシャがペレの穴を埋める活躍を演じ、2連覇を遂げた。
さらに、29歳で迎えた1970年W杯にも出場。ストライカーとして、またゲームメーカーとして攻撃の中心を担い、3度目の優勝を達成した。
ペレ本人が「最も美しい」と語ったゴール
ネイマールが「ペレは、フットボールを単なるスポーツから芸術の域に高めた」と語るように、彼が演じた美しいプレー、美しいゴールは枚挙に暇がない。
ペレ本人が「最も美しい」と語るゴールは、1959年8月2日、サンパウロ州選手権のアウェーのジュベントス戦で記録された。
後半42分、ゴール前のほぼ正面でパスを受けると、最初のDFをシャペウでかわす。次のDFも、さらには3人目のDFもシャペウでかわすと、飛び出してきたGKもシャペウで抜き去り、頭で無人のゴールに押し込んだ。
このゴールを記念して、ジュベントスのスタジアムにはペレの胸像が立っている。
リオのマラカナン・スタジアムでも、世にも美しいゴールを決めた。
1961年、サントスがフルミネンセと対戦。中盤でパスを受けたペレが、相手選手7人を次々とドリブルで抜き去り、ゴール左下隅へシュートを決めたのである。
試合を取材した新聞記者がこの見事なゴールを後世に残したいと考え、「1961年3月5日、ペレが最も美しいゴールを決めた」と記した銅板のプレートを自費で作製してスタジアムの壁に取り付けた。
以来、ブラジルでは美しい得点のことを「プレートにして残すに値するゴール」と呼ぶようになった。
伝説の「ゴールよりはるかに美しいノーゴール」とは
個人的には、1970年W杯でペレがやってのけた「ゴールよりはるかに美しいノーゴール」が心に残る。