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過熱報道にイチロー沈黙&優勝予想ほぼゼロも…最強西武に15連勝“1995年のオリックス”はなぜ勝てた?「願いの力って、すごいんですよ」 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byKYODO

posted2023/01/17 06:00

過熱報道にイチロー沈黙&優勝予想ほぼゼロも…最強西武に15連勝“1995年のオリックス”はなぜ勝てた?「願いの力って、すごいんですよ」<Number Web> photograph by KYODO

1994年12月、契約更改を終え、報道陣に囲まれるイチロー

 イチローも震災については、何も語らなかった。それどころか、過熱する報道に口さえ開かなくなっていた。

 松村がそのときの様子をこう振り返る。

「キャンプのときは、イチローに合わせてカメラも記者も一緒に動くので、常に塊が動いているような感じだった。イチローも段々メディアを避けるようになってきて、バスタオルで頭をすっぽり覆って移動したりするようになった」

 前年、仰木が就任したばかりのオリックスはイチローの大活躍もあり、2位と躍進した。だが当時は西武の黄金時代で、天下はまだしばらく続きそうな気配だった。

 田口もこう話す。

「西武がずば抜けて強かったし、2位といっても、まだかなりの実力差があった」

95年の勝ち方は「異常だった」

 開幕前の時点では、震災による調整の遅れもあり、オリックスの優勝を予想した評論家はほとんどいなかった。選手たちも、そこまで自分たちの力を信じていたわけではない。

「こんなときだからこそオリックスにがんばって欲しい」という世間の声は選手たちにも確かに届いていた。ただ、思いだけで勝てるほど甘い世界ではないことも自覚していた。

 4月、オリックスは9勝9敗と、まずまずのスタートを切る。5月末には一時的にとはいえ、首位に立った。そして本塁打、打率、打点と打撃3部門で1位となるイチローの好調に合わせて一気に勢いに乗り、6月は19勝4敗1分けと大きく勝ち越した。

 その頃になると左の野村貴仁、右の鈴木平という左右の中継ぎ投手が台頭し、そこから平井につなぐという勝利の方程式も確立していた。平井も「6回でリードしていればもう勝てる感じだった」と自信を深めていた。

 ただ、その勝ちっぷりを田口は「異常だった」と振り返る。

【次ページ】 なぜ「勝つチーム」になれたのか?

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オリックス・ブルーウェーブ
イチロー
田口壮
平井正史
仰木彬
パンチ佐藤
野村貴仁
鈴木平
佐藤義則
西武ライオンズ

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