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過熱報道にイチロー沈黙&優勝予想ほぼゼロも…最強西武に15連勝“1995年のオリックス”はなぜ勝てた?「願いの力って、すごいんですよ」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKYODO
posted2023/01/17 06:00
1994年12月、契約更改を終え、報道陣に囲まれるイチロー
1月17日、午前5時46分。そのとき神戸市北区のマンションの10階の部屋で寝ていた、イチローと同期入団の田口壮が回想する。
「鉄の扉が、風か何かで突然閉まったような音がした。それと同時に、遊園地の乗り物みたいに体がすっと落下した」
数秒後、建物が折れてしまうのではないかとおもえるほど左右に揺れ始めた。
神戸球場の脇にある選手寮も同様だった。揺れが落ち着くと、寮住まいだった選手たちは1階ロビーに集まった。イチローらとともにそこで生活していた平井正史が思い出す。
「当時は小さな携帯がやっと出回り始めた頃で、僕はまだ持っていませんでした。イチロ―さんは持っていたんじゃないかな。持ってる人はそれでいろいろなところに連絡をしていました」
夜が明け、しばらくすると、遠くの方で立ち上る黒い煙が寮からも見えた。
震災について口を閉ざしたイチロー
2月1日。球団からはキャンプヘの参加が難しい選手は来なくてもいいという通知があったが、選手も、その家族も無事だったこともあり、全員が宮古島に集まった。
常夏の島は、神戸とは別世界だった。指揮官の仰木彬が震災のことについてほとんど触れなかったこともあり、チームの雰囲気はむしろ明るかったと言っていい。選手たちは野球に集中し、東日本大震災のときのように選手自らが募金を集めるなどの支援活動も当時はまだ一般的ではなかった。
高卒2年目で、その年ストッパーとして期待されていた平井はこう話す。
「自分のことで精一杯でしたね。シーズン中も『がんばろうKOBE』というワッペンを貼ってはいましたけど、勝たなければそれすらも言えないと思ってましたから」