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三笘薫18歳“フロンターレ昇格ではなく大学進学”、南野拓実18歳「J1で2ケタ得点」できず悔やんだ日…日本代表の「多感な青春時代」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKiichi Matsumoto/JMPA
posted2022/12/26 17:07
カタールW杯の(左から)南野拓実、三笘薫、遠藤航
三笘がフロンターレ昇格ではなく大学進学を選んだ理由
<名言3>
プロになると、目の前の1試合、1試合に懸ける想いを凄く求められます。ただ僕は、あくまで長期的なビジョンでも自分やサッカーを見つめたかったんです。
(三笘薫/NumberWeb 2018年5月28日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/830894
◇解説◇
日本サッカー史に刻まれた「三笘の1ミリ」の主役となった三笘薫。しかし今から4年前、彼の戦うフィールドはJリーグではなく、大学サッカーという舞台だった。
川崎フロンターレの下部組織時代、三笘は「さぎぬまSC」でチームメートだった田中碧や1学年上の板倉滉、三好康児らとともに研鑽に励んだ。その実力はクラブの“目利き”として知られる向島建もこう評していたほど。
「ジュニアのときから飛び抜けている存在で、その学年でもかなり高いものでした。ジュニアユースで少し苦しんだ時期もありましたが、ユースに上がってから再び頭角を現した。独特の感覚を持ったドリブルは他の選手にないものがありましたし、こういう選手だったらトップに上げないと、という話をしていた」
実際、高校3年生の時点でクラブはトップ昇格を決定した旨を三笘らに伝えていた。しかし三笘の感覚では少々違うものがあったようだ。面談前に筑波大のサッカー部に練習参加していた。18歳で直接Jリーガーとなるのか。大学でしっかりと勉強しつつ、そこからプロを目指すのか。その2つの選択肢があったのだ。
大学時代、三笘はこのようなコメントを残している。
「当時はプロでやっていく自信がありませんでした。1学年上の三好選手や板倉選手の姿を見て、客観的に考えたときに、トップでやれる自信が決定的に足りなかった。その現状から、将来を考えると筑波大に行った方が良いと思ったんです」
「どの環境でも人は育つということで」
トップチーム昇格を断って大学進学、というのはかなりのレアケースであるし、大学を経由した4年後にプロ選手になれるという保証はない。それでも三笘は自身の決断についてこのように語っていた。
「僕がここに来て思うのは、環境が人を育てるのではなく、どの環境でも人は育つということです。言い訳せず確固たるものを持ってやっていれば、良いと思います。僕はこの選択に誇りを持っていますし、後悔していません」
実際、三笘は筑波大時代に鮮烈なプレーで日本のサッカーファンに「すごいドリブラーがいる」と印象づけている。それは2017年、第97回天皇杯でのこと。当時2年生の三笘は2回戦でベガルタ仙台相手に今や真骨頂となったスーパードリブルを発動し、2ゴールをゲットして勝利に導いた。
これで勢いに乗ったチームは続いてアビスパ福岡も撃破するなど、大学チームとして快進撃を見せる。2018年元日には“ジャイアントキリング”のゴールを表彰する『SURUGA I DREAM Award』を受賞し、三笘らは決勝戦ハーフタイムにスーツ姿で登場した。
そこから4年。フロンターレに戻った三笘はJリーグの舞台を席巻し、W杯でも強烈なインパクトを放った。そして26日から再開されるプレミアリーグ、所属するブライトンでも活躍なるか――。クラブでのプレーぶりにも注目したい。<つづく>
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