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NHKアナウンサーが絶叫「ものスゴいペースです」“無名の県立高ランナー”が見せた伝説の区間新…20年前、なぜ全国高校駅伝で奇跡を起こせた?
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byKYODO
posted2022/12/25 11:01
2002年の全国高校駅伝。4区でトップの西脇工を懸命に追走、区間最高記録をマークした佐賀県立白石高校の高井和治(左)
「僕は1区か3区かなと思っていたら、アンカーでした。当時のチームは高井がエースという認識はみんなあったと思うんですけど、同時に高井があんまりロードに強くない印象もあって。だから高井は1、3、4区の長い区間はないのかなと思っていたんですけどね」
高井自身も青天の霹靂だったという。
「4区は全然、想像していなかったですね。一応、都大路が決まった後にみんな一通り各区間の試走はしているんです。でも、もう少し早く言ってくれれば、過去の映像とか見て区間の分析とかもできたと思うんですけど(笑)」
逆に言えば、1万mで29分台前半という当時としては“超高校級”の記録を持つこの4人に関しては、誰がどの区を走っても大丈夫だという監督の自信の表れでもあったのかもしれない。
“華の1区”で「松瀬に悪いことしたなぁ」
多少の驚きと、各々の小さな自信を胸に、白石の都大路はスタートした。
“華の1区”には、この年の日本人最強ランナーの呼び声高かった大牟田高校の土橋啓太、2年生ながら5000mで13分台の記録を持つ西脇工業の北村聡(現日立女子陸上部監督)と佐久長聖の上野裕一郎(現立教大監督)、後の北京五輪マラソンで金メダルを獲得する仙台育英の留学生、故サムエル・ワンジルら、強力なランナーがそろっていた。
だが、エース区間を任された友廣は、不思議とプレッシャーは感じなかったという。
「周りが強いのは分かっていましたから。その中では自分の持ちタイムもそんなに良いわけでもなかったですし。『ひとりでも多く勝てたらいいなぁ』くらいの気持ちでしたね。むしろこれまでは松瀬が1区を走ることが多かったのに、大舞台でエース区間を走らせてもらってしまって、『松瀬に悪いことしたなぁ』と考えていました」
序盤から優勝候補校のいるグループで淡々とレースを組み立てるキャプテンらしい安定したレース運び。難コース最後の下り坂でのスパート合戦で離されたものの、ライバル校とは僅差の30分15秒の区間16位で襷をつないだ。
「結果的に最低限の走りはできたかな、という感じでしたかね」
伝説の4区「県立高ランナーの7人抜き」
3区の松瀬は14位で襷を受けると、区間6位の走りで9位まで順位を引き上げた。
「最低でも8位入賞圏内まではもっていかないと……と思って。とにかくひとつでも前に、前にという感じで積極的に集団を引っ張ったんです。ラストスパートで一気にその集団の後ろの方に行ってしまったんですが」
そしてこの年のハイライト、4区の高井に襷が繋がっていく。