- #1
- #2
Number ExBACK NUMBER
「丸刈り強制なし、練習は2時間だけ」“普通の”県立高校陸上部の奇跡…20年前、なぜ全国高校駅伝で準優勝できた?「ヤバかった練習方法」
posted2022/12/25 11:00
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
KYODO
今から20年前の2002年の全国高校駅伝。
この年、数校の実力が伯仲すると言われていた都大路で準優勝に輝いたのが佐賀県立白石高校だった。4区を走った“赤い稲妻”ことエース・高井和治の区間新記録を、いまでも覚えている高校駅伝ファンも多いだろう。
ほかの「優勝候補」校とは異なり、普通科だけの県立進学校の駅伝チーム。
中学時代の実績もほとんどなかったランナーたちは、なぜこの年、全国の頂点を目指せるほどに成長できたのだろうか?【全2回の1回目/#2へ】
◆◆◆
「普通の公立高」に何があったのか?
2002年の都大路は、群雄割拠の様相を呈していた。
優勝候補に挙げられていたのは、5校。
2年生ながら13分台の記録を持つ北村聡(現日立女子陸上部監督)をエースに総合力も高かった兵庫の西脇工業を筆頭に、同じく2年生エースの上野裕一郎(現立教大監督)を軸に、実績豊富な3年生を多く擁する長野の佐久長聖。その年のナンバーワンランナーだった土橋啓太を擁する福岡・大牟田。そして、後に北京五輪のマラソンで金メダルを獲得することになる強力な留学生の故サムエル・ワンジルがいる仙台育英。
そしてもう一校が、高井たちの白石高校だった。
この年の白石高校は1万mで29分台の記録を持つランナーを5人も揃えるという層の厚さを誇っていた。これは、まだ厚底シューズの恩恵を受けていなかった当時では驚異的な数字である。特に高井、田上貴之、友廣哲也、松瀬元太の3年生4人は、大学生でもエースクラスである28分台に迫る記録をマークしていた。
一方で、高校陸上界の「超名門」である他の優勝候補校と比べると、白石高校の立ち位置は少し異なっていた。強豪私立や専科のある高校とは違う、普通科だけの公立進学校――簡単に言ってしまえば「普通の公立校」だった。
普通科しかない県立高にしては珍しく、スポーツ推薦制度自体はあったという。
だが、寮があるわけでもなく、金銭的な優遇や授業面での配慮があるわけでもない。現実的にはスカウト対象も日々高校へ通える範囲の学生に限られていた。4人も、松瀬が自転車で45分、高井が電車で20分ほど、友廣と田上が45分ほどの道のりを毎日通学する「地元の高校生」だった。
「中学時代は“女子選手のレベル”だった」
友廣がこう振り返る。