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「体重が43kgを超えると怖くなって…」“全中&インハイ出場→駅伝日本一の実業団”の女子ランナーが語る体重制限の怖さ「月経も止まっていました」

posted2024/03/12 11:01

 
「体重が43kgを超えると怖くなって…」“全中&インハイ出場→駅伝日本一の実業団”の女子ランナーが語る体重制限の怖さ「月経も止まっていました」<Number Web> photograph by (L)本人提供、(R)Miki Fukano

中高と全国大会で活躍後、女子駅伝の強豪チーム・パナソニックにも所属した國立華蓮さん(23歳)。現在はモデルとしても活躍している

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荘司結有

荘司結有Yu Shoji

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(L)本人提供、(R)Miki Fukano

 女子駅伝の強豪チーム・パナソニックに所属した元実業団ランナーで、現在はモデルとして活動する國立(こくりゅう)華蓮(かれん)さん(23歳)。中学時代から全国大会の舞台に立ってきた裏側で、過度な体重管理による無月経に陥っていた。現役引退後は、リアルな体験談を積極的に発信し、陸上関係者から多くの共感を集めている。当時の心理状態や、体重制限の怖さについてありのままを語ってくれた。《NumberWebインタビュー第1回/後編に続く》 

 國立さんが、長距離選手として歩んできた道は少し変わっている。

 陸上を始めたきっかけは小学1年生の頃、校内の持久走大会で優勝したことだった。スポーツ好きだった母親の勧めで日常的に走るようになり、6年生で初めて愛知駅伝の地元代表に選ばれた。

 地元のクラブチームや部活動で競技に取り組む選手が多い中、國立さんは母親の指導のもと、実力を伸ばしていった。母親は専門誌などを参考にし、國立さんに合ったメニューを組んでいたという。

コーチ役の母との二人三脚で全国大会へ

「基本的に母がメニューを決めるのですが、なかなかハードだったんです。大事な試合前は早朝から1500mのタイムトライアルをやった後に300mのインターバルをしたり。あとは自分で考えて5000mのタイムトライアルを1日に3本走ったりしたことも。正直、かなりキツくて泣きながら練習することもありました(笑)」

 10代前半の選手にとってはかなり負担の大きいメニューだが、國立さん自身も負けず嫌いな面が強く、母親に反発することはなかったという。コーチ役の母と出勤前に一緒に朝練習を行い、下校後は用意されたメニューをひとりで黙々とこなす。そんな独特な環境下で県内トップレベルに成長し、中学2年時に800mで全中出場を果たしている。

「走るのが好きという気持ちもあるのですが、それ以上に全国大会に出るとか、大会新記録を出すとか、目標をクリアしていくのが楽しかったんですよね。全国的に目立つ存在ではなかったけれど、一流の選手たちと同じ舞台で勝負することが一番のモチベーションになっていました」

 県内で一番を獲るため、ライバルに勝つため。そんな走るモチベーションの歯車が狂い始めたのは、中学2年の冬だった。生理の時期に食欲が増すようになり、夏の全中の時期より体重が4kg増えた。

【次ページ】 「もっと絞ったほうがいいんじゃない?」…指導者の一言

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