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「反抗的な学生もいたし、タバコは吸ってるし…」28年前、箱根駅伝優勝ゼロだった駒澤大を変えた大八木弘明・新コーチの“強烈な指導法”
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byJIJI PRESS
posted2023/01/11 17:02
2000年の箱根駅伝。初優勝を決め、ガッツポーズでゴールする駒大アンカーの高橋正仁
「あの情熱はすごかった。選手の練習に自転車でずっとついてきてくれるんです。授業の関係もあり、ほとんどの選手は午前中に30km走をやり、マラソンをやる僕らが午後に40km走をやったこともあります。全部、大八木さんは自転車で追いかけてくれました」
「復路優勝」を狙う奇策
練習で「あの頃は一切妥協を許さなかったから」と大八木は苦笑し、前田も「この練習をすれば強くなれるという強烈な指揮官でした」と振り返るが、ただ厳しかったわけではない。
選手層が薄いチームにおいて、大八木はひとりひとりの選手に細かいアドバイスを送っていた。練習で全力を出し切ってしまうことが多かった西田には「練習は8割でいいぞ。全力を出すと回復が遅れて翌日の練習の質が落ちるから」と助言、すると夏過ぎから西田はメキメキと力をつけていった。
だが、チームには成功体験がなかった。どうやったら選手たちを「本気」にさせられるか。前田らが1年時の箱根駅伝を前に大八木は一計を案じる。
「優勝の味を知らないことには、ずっと予選会校のままになってしまう。とにかく成功体験を味わわせたくて、97年大会の復路に懸けたんです」
大八木は「復路優勝」を狙うという奇策を打った。箱根の華といえば、往路だ。ただし、当時のチームでは往路で勝ち切る陣容は組めない。それならばエースの藤田を2区に投入して順位をあげておき、3区から5区までを耐え、復路で勝負をするという作戦を採った。
これがズバリ的中する。往路を9位でしのぐと復路は全員が区間2位という見事な走りでつないで、復路新記録での優勝を勝ち取ったのだ。
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