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“ユキノビジンによって生まれた”タレント・優希乃さんの競馬愛が深すぎる「馬に会えないのがつらすぎて、競馬場でバイトも…」 

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軍土門隼夫

軍土門隼夫Hayao Gundomon

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photograph byWataru Sato

posted2022/12/17 17:03

“ユキノビジンによって生まれた”タレント・優希乃さんの競馬愛が深すぎる「馬に会えないのがつらすぎて、競馬場でバイトも…」<Number Web> photograph by Wataru Sato

1993年エリザベス女王杯出走時のゼッケンを持つ優希乃さん。通常は馬主が手にするゼッケンがなぜ手元に? その答えは…

『ウマ娘』によって感じた反応の変化

「それまでは、ユキノビジンって知ってる?って訊くと、桜花賞とオークスでベガの2着だった馬だよね、というのがほとんどでした。ところが今は、知ってる、『ウマ娘』にいるよね、綺麗な馬だよね、って言われるんです。すごく変わったなと感じます」

 今はとにかく、自分の名前の由来になった馬が運んできてくれたこの仕事を全力で頑張りたい、と話す優希乃さん。将来の夢を訊くと、しばらく考えたのちに、こんな答えが返ってきた。

「もし私にそんなことができるようになったらですけど、馬が幸せに余生を送れるような施設を作ってあげたいです」

すべては地方競馬から始まった

 それは優希乃さんが小さな頃からずっと思っていることだった。一緒に遊んでいた馬が、厩舎を去る。お別れのたび、いつも優希乃さんは大泣きした。ユキノビジンも、じつは子どもたちはそれほど活躍できなかった。7頭が中央に入ったが、勝利を挙げた馬はいない。そんな華やかではない馬の余生にこそ、思いを届けたい。

 優希乃さんは2022年春からは「地方競馬アンバサダー」の仕事もしている。「だから中央競馬はもちろんですけど、地方競馬も興味を持って見ていただけると嬉しいです」と話す。

 思えばユキノビジンも、デビューは地方の岩手競馬だった。そこから中央に移籍し、利雄さんの担当馬となり、力の限り走った。そして優希乃さんが生まれた。すべては、そこから始まったのだった。

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「ユキノビジン大ファンの母に厩務員の父が一目惚れして…」優希乃さんが語る“ユキノ”一家ヒストリー「妹の名前は“美人”にしようと…」

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