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プロ野球PRESSBACK NUMBER
高校時代の評価は「ゼロか100」“不器用な長身エース”が160キロ豪速球を投げるまで…山崎颯一郎の恩師「オリックスで良かった」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byKYODO
posted2022/11/15 11:03
2016年センバツで山崎颯一郎(左)の投球練習を見守る敦賀気比・東哲平監督
荒削りだったとはいえ、190cmの高さから投げ込む右腕はスカウトの目を光らせた。東監督の余白を残した指導もあり、山崎はオリックスからドラフト6位指名を受けてプロ野球の道に進むことができた。
1年目から二軍戦に登板。2年目にはU-23日本代表に選出されて中学時代以来、国際大会の舞台にも立った。だが、3年目に試練が訪れる。
「二軍の試合で投げている時に、右ヒジがブチっといったそうです。完璧には切れていなかったそうですが、その後に(トミー・ジョン手術を)受けた方がいいということになって……」
山崎から直々に手術を受けるという報告がきた。だが、東監督はその時間が今の山崎の土台を作ったのではないかと感じている。
「オリックスに将来性を信じてもらえた」
「リハビリの間に体を相当鍛えたんじゃないですかね。僕からも、投げられないからこそ体づくりの時間にしなさいと言いました。今、あれだけのボールを投げられるようになっていますが、一番変わったのは体だと思います。高校の時も上背はありましたけれど、スラっとした体型。今は横にも大きくなりました。そうやって体が出来上がってきたことと、手術をしたことでヒジへの不安がなくなって思いっきり投げられていますよね。
でも、体があるとはいえ、160キロなんてなかなか投げられないです。それは球団からも長い目で見てもらい、きちんと指導していただき、その将来性を信じてもらえたから。オリックスに入れて良かったと思います」
リーグ戦終盤、CS、そして日本シリーズと山崎は痺れる場面を任されることが多かった。その度に156キロ、157キロと、うなりを上げるようなストレートがキャッチャーミットに吸い込まれ、球界の打者の多くをのけぞらせた。
前述した3ラン被打はあったが、オリックスの26年ぶりに日本一にひと役買ったことは間違いない。甘いマスクも相まって、“吹田の主婦”という愛称も定着するほど人気選手の仲間入りを果たした。