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「お父さんが撮った動画で研究したか?」屋鋪要63歳は今…“子供に野球ガチ指導+ラベンダー栽培”への愛情「え、ここ自宅ですか?」 

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茂野聡士

茂野聡士Satoshi Shigeno

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posted2022/11/06 11:01

「お父さんが撮った動画で研究したか?」屋鋪要63歳は今…“子供に野球ガチ指導+ラベンダー栽培”への愛情「え、ここ自宅ですか?」<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

大洋ホエールズで一時代を築いた頃の屋鋪さん。63歳となった今は何どうしている?

 ノック練習が始まると、子供達を各ポジションにつける。求めていたのは力強さと正確さだった。ショートを守る少年に対して「ファーストに何回もバウンドするより、まずはノーバウンドで投げることが大事!」と強い送球を求める。

 その一方で外野守備を身につけている段階の少年が、外野ノックの際に連続で後ろにボールを逸らすと「何度もそらすのは集中しきれてない証拠だぞ!」と鼓舞していた。それとともに練習の合間には子供達に「なぜ打球が飛ばなかったか」「なぜボールが取れなかったか」を聞くなど、子供たちに考えさせようとしていた。

プロの世界で培った技を少しでも伝えたい

「屋鋪さんは1球ごとにノックの打球スピードを変えたり、飛ぶ方向を少しずつ変化させたりしている。ちょっとうまい子に対しては“この打球が取れるかどうか”という調節もしていますし、子供たちにとっては刺激的な練習なのだと思います」

 前述の村上さんもこのように話していた。

 考えてみれば、屋鋪さんはゴールデン・グラブ賞を5回を受賞した守備職人である。世間に鮮烈な印象を残したのは、巨人在籍時の1994年、日本シリーズ第2戦だ。当時の日本シリーズを伝えるNumber353号をめくってみると、第2戦についてこのように記されていた。

《そしてフィナーレは鈴木健の強烈なライナーだった。難しい正面の打球をセンター屋鋪が、飛び付く。捕った。勝った。長嶋監督は一塁線まで飛び出して槙原を迎えた。「屋鋪が大ファインプレーをやってくれた」と満面笑みで、またドームに帰ってくると高らかに誓った》

 このプレーでまさに流れをつかんだ巨人は。屋鋪さんとしても――すでにプロ野球人生の晩年に入っていたとはいえ――守備職人としてのプライドを見せた瞬間だった。そういった世界で生き抜いてきたからこそ、自分の経験をあますことなく伝えたい。そんな思いがこもっていたのだ。

自分が任されたものについて、手塩にかける

 野球教室の風景を見て思い出したのは、前日のラベンダー取材でのことである。

 インタビューを終えると、屋鋪さんは「じゃあ撮影もあるでしょうし、僕が植えたラベンダーの場所まで行きましょうか」と切り出してくれた。住宅街にある公園の一角などにラベンダーは育てられていた。「ここにラベンダーを植えたのが屋鋪さんだと知ったら、往年のホエールズファンはビックリするだろうな」と内心思いながら、ラベンダーの栽培場所めぐりをしていた。

 そして最後に「ここも見ていってください」と到着した場所は……。

【次ページ】 ラベンダーには感謝していますよ

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