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「あまりに清原を意識し過ぎて」巨人・槙原寛己が振り返る痛恨の日本シリーズ初戦…西武時代の4番・清原とヤクルト村上の不思議な共通点
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2022/10/22 11:25
1990年日本シリーズ「巨人vs西武」第1戦で3ランを放った西武デストラーデ(右)と清原和博。打たれた巨人・槙原寛己が当時の痛恨を振り返った
ただ、その一方で3年の時を経た西武打線も変貌していた。中でも87年のシリーズでは6試合で5安打1本塁打に終わった清原は、この3年間で大きく成長していた。打者としてのただならぬ圧を、槙原が感じたのはまさに初戦のマウンドで、だった。
槙原が振り返る「清原封じ」の配球
槙原の先発がアナウンスされると、ため息ともつかないどよめきが東京ドームに巻き起こった。その中でマウンドに立った背番号17は、初回にいきなり西武打線の波に飲まれる。先頭の辻発彦内野手に右翼線二塁打を浴び、送りバントの1死三塁。3番の石毛宏典内野手は二直に打ち取り2死まで漕ぎ着けたが、そこで打席に迎えたのが4番の清原だった。
「とにかく穴のない打者というのが事前のスコアラーからの報告。率もいいし、一発もある。インハイの真っ直ぐは必ず振ってくるから、そこから外の変化球で、というのが組み立ての基本パターンだった」
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槙原さんが振り返った清原封じの配球だ。
「でもインハイも甘く入ったら長打があるから、絶対にコースを間違えるなとミーティングでは口を酸っぱくして言われていた。危険ゾーンばかりを叩き込まれて試合に臨んでいたんですね。それで慎重になりすぎてしまった」
投げてはいけないゾーンばかりを意識し過ぎた結果、コースを狙い過ぎてストレートで歩かせてしまったのだ。
「清原を警戒し過ぎて…」
その結果、続く5番のオレステス・デストラーデ内野手に初球を叩かれた。
「デストラーデは一番マークしていたバッターだったんですけど、その前の清原を警戒し過ぎて歩かせたので、結果的にはその分、コースが甘くなってしまった」
打球は右翼席に消える3ランとなり、シリーズの流れは一気に西武に傾く。そしてそのままなすすべもなく4連敗で巨人は屈辱の敗退を喫したのである。