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「1・4」追悼大会でアントニオ猪木の闘魂を継承するのは誰なのか? 32年前、東京ドームで「1、2、3、ダーッ!」が生まれた日
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/10/13 11:04
1990年2月10日の東京ドーム大会。アントニオ猪木の「ダーッ!」が「1、2、3、ダーッ!」に進化した瞬間
かつて試合終了後、「(やっ)たーッ」と両手を突き上げていたポーズは、左肩が痛かったからという理由で、やがて右手だけになった。ある時期までは唐突に「ダーッ!」をやっていたから、写真は撮りにくかった。「1、2、3」がつけられたのは1990年2月10日の東京ドーム大会が最初だった。橋本にさんざん蹴られて立っているのもつらい状況だったが、試合終了後、猪木はマイクを手に指で3つ数えると、「ダーッ!」と右手を突き上げた。これが多くのファンとともに叫んだ初めての「ダーッ!」だった。
1972年でも2022年でも、プロレスは変わらない
「ひとつの時代が終わったと思います。そして、これからの時代、誰の時代になるのかを決める戦いが、来年のこのタイトルマッチにかかっていると思いますので、しっかりと勝っていきたい。気持ちを新たに。また新しい、“新”新日本プロレスを見せていきたいなと思います」(オカダ)
そんなオカダに対して、IWGP王者のジェイからは疑問の声が投げかけられた。
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「彼はステップアップしているのか? それともステップバックしているのか? 一切プレッシャーのない試合で、何も失うものがない相手(ジョナ)に勝ったからと言って、それが何なんだ。オカダは臆病者、弱虫だ。『G1』に優勝して、『1・4』までの間にいくつかの勝利を挙げてこその大きな権利だと思っているが、この臆病者、小さな弱虫カズをみんなが守って、そしてリスクのない方にリスクのない方にと楽な試合を組んでいるようにしか思えない」
オカダは神妙だった。
「(ジョナとの)戦いも、しっかりと猪木さんに届いた戦いなんじゃないかと思います。ああいうデカいレスラーと戦ってね。猪木さんもそういうシーンはたくさんあったわけですし、変わらないですよ、プロレスっていうのは。1972年だろうと2022年だろうと。しっかりとこの50年間、つないできたプロレスがストロングスタイル、闘魂なのか、そのゴールっていうのはまだわからない。(先に)何があるのか、しっかり戦っていきたい。『G1 CLIMAX』の覇者として借りも返せましたし、気持ちよくドームに行けます。猪木さんにリング上で挨拶して、しっかりとお見送りできたらいいかなと思います」
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