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「日本にはいつも感謝」元巨人・マイコラス34歳が2ケタ勝利&地区優勝でメジャーを代表する投手となっていた「妻や子供と、いつか東京へ…」
text by
四竈衛Mamoru Shikama
photograph byGetty Images
posted2022/10/11 17:01
ヒゲをたくわえ、巨人時代とは違った風貌のマイコラス。メジャーでも活躍を続けるマイコラスは日本への感謝と将来の訪日の可能性も口にした
2009年ドラフト7巡目(全体204位)でパドレス入りしたマイコラスは、12年にメジャーデビューし、トッププロスペクト(将来有望な若手)として期待されたものの、その後はなかなかメジャーに定着できず、くすぶっていた。3年間で計37試合に登板し、4勝6敗。ベテランの代理人アラン・ニーロ氏が日本球界との間に太いパイプを持つこともあり、15年に巨人移籍を決断した。
研究熱心なマイコラスがフィットした日本のスタイル
当時26歳のマイコラスにとって、メジャーとは異なる日本の野球は新鮮かつ刺激的だった。観客席が埋まった東京ドームのマウンドは、牧歌的な空気が漂うマイナーの球場にはない、独特の緊張感に包まれていた。何よりも、勝敗にかかわらず、純粋なまでにチームを応援する日本のファンの姿に、マイコラスは心を打たれた。
「彼らは本当に野球が好きで、強い思い入れで応援してくれる。それが日本でプレーして、最も楽しい理由のひとつだったよ」
真面目で研究熱心なマイコラスには、基本に忠実な日本の野球スタイルもフィットした。当時の巨人投手陣は、エース菅野智之、ベテラン内海哲也ら練習熱心な選手がチームの中心として、互いにしのぎを削っていた。
全員が集まって練習するのはナイス
「日本人はいい加減にやろうとしない。それはとてもすばらしいこと。全員が集まって練習するのはナイスだったね」
そんな真面目な性格もあり、くすぶっていた才能が日本で実を結ぶ。メジャーより軟らかい日本のマウンドにアジャストする際、投球フォームの「ため」と「バランス」の重要性を強く認識するようになり、制球が格段に安定した。