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「若いヤツは、うるさく叱らないとダメなんだ」私が見た“勝ちまくった東洋大監督”の指導現場「ここから先がほんとの取材だろ!」《追悼》
posted2022/09/15 17:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Sankei Shimbun
9月7日は本当に驚いた。午前中に、早稲田大学野球部元監督・応武篤良氏の訃報が届いたと思ったら、夜遅くなって、東洋大学野球部の監督を46年間務められた高橋昭雄氏も亡くなられたと知ったからだ。74歳だった。
じつは「高橋昭雄氏」という呼び方をしたのは、初めてかもしれない。監督さん、監督さん……高橋監督のまわりは、いつも「監督さん!」と呼ぶ声に満ちていた。
2011年のドラフトで3球団の1位指名が重複した藤岡貴裕投手(千葉ロッテ→日本ハム→巨人で現役引退)の投球を東洋大学グラウンドのブルペンで受けさせてもらったのは、その年の春だったと思う。
泣く子も黙る剛球左腕・藤岡投手がブルペンのマウンドにいて、その後ろに高橋監督が腕を組んで立っている。それだけだって十分怖いのに、その日に限って、OBの松沼博久、松沼雅之の「松沼兄弟」がその横に控えるという凍りつくような情景の中で始まった立ち投げを5、6球も受けただろうか。
「まあ、これならだいじょうぶか……でも、死んじゃったって知らないよ、オレは」
笑いながら、グラウンドへ戻って行かれた後ろ姿を、私はつい昨日のことのように思い出す。
それから2年経った頃、大学野球の指導者の方々をとり上げた単行本を書くことになり、その中のお一人として、高橋監督にもお願いしていた。
「なんか、めんどくせぇなぁ……いいよ、やりますよ。やるけどね、ちゃんと書かないと、後からでもやめるよ、オレは。本気でやるんだな?」
横目でにらまれたネット裏の監督室。
謝って帰っちゃおうかと本気でビビった。それでも必死に食らいついて、何度もお話をうかがいに鶴ヶ島のグラウンドに足を運び、文章のカギカッコの中は、そっくりそのまま高橋監督の言葉と口調で埋め尽くした。
書き上げたゲラを震える手で渡した日、読んでいる途中から、あの眉毛がたれてきたから、なんだかスッと気が軽くなった。
「なんか、ほんとにオレがしゃべってるみたいだなぁ。たいしたもんだよ、あんた」
「若いヤツには、うるさく言わないとダメなんだよ」
監督室のど真ん中にドッカリと座り、グラウンドのシートノックに目を光らせる。
動く、捕る、投げる……ちょっとでも気になる場面があると、すかさずマイクのスイッチが入り、名指しで厳しいご指導が入る。