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消えた“ヤクルト落合博満”…なぜ野村克也の誘いを断った?「年俸が高すぎる」「プロじゃ通用しない」異端のバッターはこうして現役引退した
posted2022/09/08 17:18
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
<西武で現役引退してから16年。「落合がワシとダブってしょうがないんや」96年オフ、巨人を退団した落合獲得に乗り出したヤクルト野村監督だったが……>
――それから、16年。南海を追われるように去り、「その後の現役生活は惨めやった」と振り返る野村は、巨人をやめた元・三冠王の背中に昔の自分を見た。だが、プロとして自分を高く評価してくれるところへ行くという落合は冷静だった。駆け引きのように条件を徐々に上げていくヤクルトとは対照的に、日本ハムは1回目の交渉から年俸3億円の2年契約を提示。しかも、フロントの重役がわざわざ車で家まで迎えにきてくれた。12月9日、落合は自身の43歳の誕生日にヤクルトに断りを入れ、日本ハム入りを表明する。
プロ19年目の背番号は「3」に決定。自身4球団目にして初めてオーナー同席の入団会見に臨み、日本一奪取を宣言して華々しくファイターズ生活が始まった。この時期、メディアでは「リストラに負けない中年の星・落合」のような論調の応援記事が目立つ。選手会を脱退したり、名球会入りを拒否するなど、ずっと異端の悪役だった男が、初めてヒーロー扱いされたのである。自主トレからチーム全体の露出を増やそうと報道陣へ積極的にコメントを残しながら、マイペース調整。すべてが順調なスタート。いや、順調すぎた。春季キャンプを訪ねた恩師の稲尾和久はこんな言葉を残している。
「あいつは反骨精神でのし上がってきた人間なんだ。他人を押しのけて、自分の考えを通してな。それにしても、ずいぶん平和な顔になったな」
落合「おまえ、ヒロスエリョウコって知ってるか?」
落合のキャリアは戦いの歴史でもある。逆風の中で、自らの存在価値を証明しようと戦ってきた。「あんな打ち方じゃプロでは通用しない」と指摘されるも己の打撃で跳ね返し、「年俸が高すぎる」なんて声には3度の三冠王に無数のタイトルで黙らせた。いわば“オレ流”とは、球界の常識に対する反逆だった。怒りと言ってもいい。だが、日本ハムの落合は全方面から歓迎された。巨人を出て大型契約を勝ち取ったことで反逆の物語は完結してしまったのだ。