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[証言構成]落合博満は1985年が最も美しい
posted2022/09/09 07:00
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
Makoto Kemmisaki
自身2度目の三冠王は、シーズン前に宣言した上で成し遂げ、歴代延べ11人の達成者の中でも際立った数字を残した。当時の仲間、敵チームの司令塔の言葉から無双のシーズンを振り返る。
1度目の1982は若さゆえの新鮮な苦味が瑞々しい。3度目の1986になると余裕と自信の熟成度が絶品だが、やはり最高傑作は1985だ。錆色の、閑古鳥が鳴く川崎のスタンドへ、修祓のようにバットを軽く祓えば、2つ3つとボールが金網を越えていく。落合博満は2度目の三冠王を獲った1985年が最も美しい。
打率.367、52本塁打、146打点の三冠に得点圏打率.492などの圧倒的な数字は、「低い数字で獲った史上最低の三冠王」と揶揄された'82年に対してのカウンター。そこへ付随する愛と生活臭に師弟の絆、そしてプロとしての凄味が凝縮された1年なのである。
「落合以上の打者はいませんよ。特にあの年はネット裏から見ていましたけど、打ってほしいと思う場面では全部打った印象です。それぐらい凄まじい1年でした」
'85年当時、ロッテオリオンズのチーム付きマネージャーだった北川裕司は、落合にとって数少ない同じ昭和28年生まれのチームメイトだった。
「僕とオチは2年だけ現役が一緒でね。オチがケガで二軍にいるとき、高円寺の寮でテレビ見ながら『プロに入ったのは間違いだったなぁ』なんてぼそっと言うこともありました。根は秋田の純朴な男で、冗談なんかも言い合ってね。ただ、野球だけは次元が違った。ボールを3回打つって言ってたからね。まずボールの内側をコン、次に中をコン、最後に外をカン!って。イメージの話だろうけど、あれは“3度打ち”というのかなあ」