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甲子園でスカウト計測「158キロ」も…寺原隼人の“後悔”「松坂さんの記録を超えなければよかった」…あの夏から21年、“現役復帰”するまで
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/08/16 06:00
2001年夏の甲子園でベスト8に進出した日南学園時代・寺原隼人
「僕、中学生の頃から松坂(大輔)さんが憧れで、甲子園では松坂さんの記録(151キロ)を超えることを目標にしていたんです。実際にそれを上回るスピードを出したことで、プロに入ってからも何かと比べられました。全く勝てなかった頃が一番つらかった。松坂さんの記録を超えなければよかった……と思ったこともありました」
横浜移籍後は二桁勝利(12勝・2007年)を挙げたし、守護神として22セーブ(2008年)を記録した。その後オリックス時代の2011年にもシーズン12勝を挙げている。そして2013年には再びソフトバンクへ戻ってプレーした。ただ、寺原はいつしか、剛腕の矜持を胸の奥にしまい込むようになっていた。
「スピードのこだわりなんて、とうの昔になくしました」
なるか“プロ15球団からの勝利”
だけど、やはり一度は怪物投手として生きた男だ。38歳ながら再びマウンドに立ったこの日、本心もまた蘇ってきたのかもしれない。
「何歳になっても、何年間も投げてなくても、いざ試合に投げるとなると前の晩から色々考えるし、いざ当日になってマウンドに上がると、パッと一つ気持ちが入りました。やっぱり野球人だなと思いました。ただ、139キロでしょ。いくら3年間投げてなかったとはいえ、落ちたなーと思います。もうちょっと欲しいっスね。ちゃんと練習して、せめて145キロ出るまでは投げたいと思います」
現役復帰は一日限定ではなく、今シーズン中も機会があればまたマウンドに立つかもしれないという。フェニックス球団は寺原がNPB時代に大阪近鉄バファローズを含む13球団から勝利を挙げる快挙を達成したことに触れ、「これまでに、寺原隼人選手兼任コーチを含む3名しか達成していない記録となっており、今シーズン、(いずれもヤマエ久野 九州アジアリーグの)火の国サラマンダーズ・大分B-リングスから勝利を挙げると史上初『プロ野球15球団からの勝利』となります」とニュースリリースに記載してきた。
「いや、僕が先発しても5イニング投げるのは難しいから。まあ可能性は低いけど、機会があれば」
寺原は少しまんざらでもない様子で、また豪快に笑い飛ばした。
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