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甲子園でスカウト計測「158キロ」も…寺原隼人の“後悔”「松坂さんの記録を超えなければよかった」…あの夏から21年、“現役復帰”するまで 

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田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2022/08/16 06:00

甲子園でスカウト計測「158キロ」も…寺原隼人の“後悔”「松坂さんの記録を超えなければよかった」…あの夏から21年、“現役復帰”するまで<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

2001年夏の甲子園でベスト8に進出した日南学園時代・寺原隼人

「体? 大丈夫じゃないッスよ」…明るかった試合後

 その後はコーチ業に専念。試合はサラマンダーズ打線が活発となり、フェニックスは後続投手がその勢いを止められず3-10で大敗を喫する結果となった。

 試合が終わって約10分後、球場正面入り口に寺原がやってきた。

「体? 大丈夫じゃないッスよ(笑)。じつは試合前のブルペンから左のおしりがつってやばかったんですから。やっぱ準備不足でしたね」

 さらに試合が始まってからはマウンドにも苦しんだという。球場ブルペンと実際のマウンドでは固さや傾斜などが違い、戸惑った。「左脚に体重は乗せられないし、マウンドが固い。その状況で慣れないまま勢いでストレートを投げると球は吹き上がってしまう。だからスライダーをずっと投げたんです」と立ち上がりの“ナゾ”についても明かしてくれた。投げていくうちにフォームを微妙に変えながら修正を加えたという。2回からは振りかぶるのをやめてクイックモーションにした。

「コーチの立場もある。選手たちにはいつも、どんなフォームでも、バランスを崩しても、何でもいいからストライクを取ることがピッチャーには一番大事という話をしています。そう話す自分がしっかりできなければ、何も言えないじゃないですか(笑)」

 自身のピッチングの自己採点は「30点くらい」と厳しめだったが、それでも寺原はまた大きく口を開けて豪快に笑い飛ばした。

 寺原はおよそ10分の取材のあいだ、何度も声を上げて笑っていた。

 彼を取材して筆者も20年以上になるが、こんなに明るく楽しそうに野球の話をする寺原を見たのは初めてだったかもしれない。

現役時代に語っていた「甲子園最速」の重圧

高校時代に投げた158キロは、今も甲子園最速とされる。その1球はMLBアトランタ・ブレーブスのスカウトのスピードガンが計測したもの。高校野球で甲子園球場のスコアボードに球速表示されるようになったのは2004年のセンバツからのため、その明確な答え合わせはできないが、寺原の158キロを甲子園で破る高校生はまだ現れない。

 しかし21世紀の怪物は、プロの世界では苦労した。1年目は6勝、2年目は7勝を挙げたが、3、4年目は0勝に終わっている。そして5年目(3勝)のオフにトレードで横浜ベイスターズへ放出された。

【次ページ】 なるか“プロ15球団からの勝利”

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