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甲子園でスカウト計測「158キロ」も…寺原隼人の“後悔”「松坂さんの記録を超えなければよかった」…あの夏から21年、“現役復帰”するまで
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/08/16 06:00
2001年夏の甲子園でベスト8に進出した日南学園時代・寺原隼人
意を決した7月、チーム練習のシート打撃に登板。これまでもコーチとしてフリーバッティングの打撃投手はずっと務めていたため、打者に投げる感覚自体は失われていなかった。結局、練習で打者相手に投げたのはこの一度だけで、現役復帰戦に臨むことになった。
いざ復帰戦…ピンチで圧巻の投球
いざ迎えた8月7日の現役復帰の当日。北九州市民球場には692人の観衆が詰めかけた。前日より70人増えたが、告知が直前過ぎたのだろう。思ったほどの訴求効果は得られなかった。それでも客席を見渡せば、寺原がプロ入りした当時の「FDH」(福岡ダイエーホークス時代)の懐かしいユニフォームに身を包んで試合開始を待ち遠しそうにする男性ファンの姿も見つけられた。
当然、ブランクがあるから以前のような剛速球が現実的ではないのは分かっている。それでも寺原がマウンドに立つとなれば、何かを期待せずにはいられなかった。
18時、プレーボール。
注目の初球は、まさかのスライダーだった。球速は127キロ。次も、その次も、そのまた次もスライダーだ。いや、カットボールのようにも見える。フルカウントからの6球目、126キロが外れてフォアボールを与えた。いや、もしかしたら引っ掛かっているだけでストレートを投げているのか……?
2人目の右打者にはすっぽ抜けて死球をぶつけてしまった。無死一、二塁。ショートでスタメン出場した西岡スキッパーも心配してマウンドに駆け寄った。
不穏な雰囲気も漂ったが、百戦錬磨の寺原だ。ここから本領発揮した。火の国サラマンダーズの3~5番打者を空振り三振、左飛、空振り三振に仕留めて無失点で乗り切った。アウトを重ねて落ち着いたのか、5番打者に対しては130キロ台をコンスタントに計測。3球目には球場表示でこの日最速の139キロをマークした。
試合前には「行けるところまで」とやや弱気なトーンで話していたが、2イニング目もマウンドへ。先頭を二ゴロ、続く打者には右前打を許したが、この回3人目を空振り三振に仕留めて二盗を仕掛けた走者をアウト。この回もゼロに抑えた。
寺原は2回で交代。打者8人に32球、1安打、3奪三振、2四死球、無失点の投球内容だった。