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「サンペイ、三振してもいいからさ」“おかわりくん”ブレイク前夜の西武・中村剛也を救った言葉《祝・史上14人目の450本塁打》
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/08/13 17:02
39歳の誕生日前に450本塁打を達成した西武・中村剛也。初のホームラン王となった2008年に「おかわりくん」のニックネームが定着し、日本一にも貢献した
今年、清原和博を抜いた1956三振の記録も長年、長距離打者として勝負をしてきた勲章であり、たとえ結果が出ない打席でも、相手バッテリーにプレッシャーを与え、存在感を示し続けてきた証拠なのである。
「打てるときは打てるし、打てないときには打てないというのは、だからこそ失投を見逃さずに打っていこうと思うからで……。でも最初からそんな風に割り切れたわけやないですよ。まず、高校生のときはだいたいのボールをホームランにできていたし(笑)。自分のバッティングの状態さえよければ……という手応えはあった。
でもプロに入ってからはそうはいかない。ピッチャーのレベルも上がって、良いコースに投げられるし、となると『変化球で来るんじゃいか』とか、そういう“考え過ぎて失敗する”経験もたくさんしましたからね」
中村が「救われた」と感謝する言葉
大阪桐蔭高校時代に通算83本塁打を放ち、強打者の名をほしいままにしてきた中村だが、プロ入り後は決して順風満帆だったわけではない。一軍デビューを果たしたあともなかなか成績が残せず、悩む中村に対しバットを短く持つよう指示を出した首脳陣もいた。
悶々とした日々を過ごした経験もある。
そんな中村に転機が訪れたのは08年。二軍監督だった渡辺久信氏(現ゼネラルマネジャー)が一軍監督に昇格したのである。二軍監督時代から中村の長所と性格を見抜いていた渡辺監督は、シーズンが開幕したばかりの試合で、打席に向かう中村に対しこう言葉をかけた。
「サンペイ(中村のニックネーム)、三振してもいいからさ、ホームラン打って帰ってこいよ!」
中村はその言葉に「救われた」と振り返る。
「そのとき、そのときでお世話になったコーチや監督は大勢いるんですけど、もし一人、名前を挙げるとしたらやっぱり久信さんだと思います。その一言で本当に気持ちがラクになった。たとえ三振しても、精神的に引きずらないようになりました。久信さんのあの一言が今の自分につながったんだと思います」